3月28日(火)
店に来るまですっかり忘れていたのだが、今朝のNHK「おはよう日本」で、「フィクショネス」がちらり
と映ったのだった。
それは自費出版の本についての取材で、「フィクショネス」は「持ちこみの商品を絶対断らない店」
として扱われていたんである。放映時間は午前5時とか6時。
店に来てみると留守番電話が12件入っていた。いずれも年配の方からで、テレビの威力にびっくり
した。ただしその中に、「フィクショネス」で買い物がしたいという人は、どうやらいなかったようである。
というわけなので、申し訳ありませんが、一人ではすべてに対応できない状態です。留守番電話を
いただいた方、今一度営業時間内にご連絡いただければさいわいです。
ところで昨日、ポーランドの偉大な作家、スタニスワム・レム氏が亡くなった。84歳。大往生といっ
ていだろう。
レムはバラードやディックと並んで、思弁的SFの大家といわれていたが、僕はこの三人の中ではレム
が一番好きだ。代表作の『ソラリス』や『砂漠の惑星』などの本格SFも好きだが、実験的小説集
『完全な真空』『虚数』も良かった。しかし最も影響を受けたのは、『捜査』という、実に不可思議
な味わいを持った不条理ミステリ小説で、何を隠そう次号の「小説すばる」で連載を始める『洗面
器の音楽』という小説は、これと『枯草熱』というレムの傑作を、漠然と思い浮かべて書いているの
です。
レムが圧倒的な知性と哲学的思考能力をフル稼働させて描くのは、「人間には理解できないこと
もある」という大きなテーマだ。『ソラリス』がそうである。惑星ソラリスが、何らかの知性を持った惑星
であることは理解できる。しかしその知性がどうして人間にあんなことをするのか、何のためにやって
いるのかは、到底知りえない。知性があるのが明らかなのに、金輪際コミニュケートできないもの、
というテーマは、優れたSFが常にそうであるように、ひとつの寓話だ。そういう事態に、僕たちは実
にしばしば遭遇するのだから。
おそらく日本でも、複数の雑誌が追悼特集を組むだろうが、それだけでなく、絶版になって久しい
レムの作品を復刊させてもらいたいものだ。
3月23日(木)
渋谷・シアターコクーンにてコクーン歌舞伎『東海道四谷怪談』! 凄かった! しかも平場席
(靴脱いで座布団の上に座って見る席)の「松」、つまり一番前! 妻は開幕早々、「舞台に
座ってるみたい!」といったがその通りだった。今年初の歌舞伎見物に、これ以上ふさわしいもの
はないっ。
あまりにもいろんなことを考えさせられる舞台だったので、書き始めたらきりがない。なにしろ日本
の戯曲の中でも随一といわれるほどの傑作である。そして中村勘三郎のお岩さんに橋之助の
民谷伊右衛門である。そして演出が串田和美である。もうどこからいったらいいか判らない。
まず勘三郎はこれまで見た中で最高の演技だった。お岩さんが毒薬を良薬と思い込んで感謝
しながら飲む場面では、涙が止まらなかった。一番前だったから、さっと手を伸ばして薬をひった
くってあげたかった。妻は僕がこの場面のあいだじゅう、両手をすり合わせていたというが、多分
誇張だろう。
入り組んで仕掛けられたストーリーの中で、お岩さんは生きている間じゅう、受動的な生き方を
強いられる存在だ。どんな階級であれ女性が独立できない世界の中で、彼女は伊右衛門と
いう男が非道な人間と知りつつ、どうすることもできない。おまけにお岩さんは産後の肥立ちが
悪く、たとえ毒薬を飲まされなくとも、長いことはなかったのではないかと思われる。僕はこのシーン
を見ながら、(どうして女ばっかり子供を産まなきゃならないんだ?)とさえ思った。
鶴屋南北の劇的緊張は、幾重にも折り重ねられている。まずお岩さんが伊右衛門を、それで
も頼りにしているのは、殺された父親・四谷左門の仇を討ってくれると信じているからである。し
かし四谷左門を殺したのは伊右衛門だ。またお岩さんに与えられる毒薬は、「しかし命に別条
なし」とあって、ただ顔面が崩れるだけの作用を持っている。死ななければいいだろうという卑怯
な考えから企てられたものだが、その企てたのは伊右衛門ではない。隣の家の伊藤喜兵衛の
考えである。喜兵衛の孫娘・梅が伊右衛門に横恋慕したのを、何とか添い遂げさせたいと思っ
てのことだった。伊右衛門が梅を嫁にできないのはしかし、妻子持ちだからというだけではない。
伊右衛門は塩谷浪人であり、伊藤喜兵衛は高師直側の者、つまり『忠臣蔵』における浅野
家と吉良家の対立を「名目上」引きずっているのである。「名目上」というのが大事なところだ。
初演の際には『忠臣蔵』各段と交互に演じられたという『東海道四谷怪談』は、忠義やあだ討ち
といったタテマエに対する、グロテスクなアンチテーゼになっているのである(ああやっぱり長くなる)。
さて、そのようなグロテスクな世界に展開されるドラマだから、話は当然陰気なものとなる。つまり
ドラマを優先させれば、まずお岩さんの陰惨な生と死を描き、しかるのち伊右衛門の陰惨な祟ら
れようを描くということになり、救いはまったくない。そこで鶴屋南北は、いや串田和美演出は、い
や歌舞伎の世界は、話の後半を思うさま派手な見世物にして、観客をスッキリした気持ちで帰す
工夫をしている。
幽霊となったお岩さんは生の束縛から解放されて闊達自在に伊右衛門を苦しめている。だから
幽霊ではあるけれども陰気ではない。客席の思いがけないところから現れて女性客に悲鳴を挙
げさせたり、燃える提灯から飛び出して宙吊りになったりする、スペクタクルの主人公だ。一方
伊右衛門はお岩さんの幽霊に苦しめられ、また彼女の妹の夫・興茂七を始めとする追っ手を逃
れながら、やがて立ち回りとなるわけだが、この立ち回りはまったく子供の遊びのように派手で明る
く、無邪気とさえいえる楽しさに満ちている。しかもその立ち回りが水の中で行われるのだ。僕たち
は伊右衛門からいやというほど水をかけられた。はっきりと狙っていた。笑いと拍手は鳴り止まな
い。おまけにラスト、伊右衛門は斬られない!
……こんなこと、いくら書いてもしょうがないだろう。舞台というのは不思議なものだ。その場にいな
ければ伝わらないものが多すぎる。ごめんなさいね、僕だけ楽しんじゃって。
3月20日(月)
しばらくぶりに日記を書きますがね、トピックスなんかなんにもありませんよ。仕事ばっかりで。遅れ
まくっている書下ろしを、何としてでも形にしなけりゃならん。「形にする」とはこの場合、おしまい
まで書くというだけのことだ。
昨日WBCで日本が韓国に勝った。嬉しいことは嬉しいけれど、だからってこのシリーズで韓国が
実質一番強かったことには変わりない。なんせ六勝一敗だ。たった一回負けただけで、二回も
三回も負けている日本に決勝戦を譲らなければならぬとは、そら腹も立つだろう。記録に残らぬ
ものは記憶に残すべし。今回一番強かったのは韓国だ。今回はね! 次回は何のわだかまりも
なく日本に勝ってもらいたい。なんか変だよ、今度のシステム。
仕事ばっかししていることに不服はないです。本当にありません。ありがたいことだと思っています。
でもやっぱりナントイウカ、脳が詰まる。こういうときに大切なのが、読書だ。やらなきゃいけないこと
が目白押しで、こなしているだけで一日が終わってしまうようなときこそ、義理も義務も何にもない、
古典的名作を読むのがいい。今僕は新訳なったウラジミール・ナボコフの『ロリータ』(新潮社)を
読んでいる。
若島正の翻訳は興味深いが、僕はやっぱり新潮文庫の大久保康雄のほうが好きだ。この大久保
訳は長いこと悪訳・愚訳といわれていたが、僕は(そうかなあ?)と思いながら楽しんで読んでいた。
今回若島氏のあとがきを読むと、「初版と新潮文庫版とでは、同一訳者の手になるとはほとんど
思えないほど異なっている。今回、新訳を試みるにあたって、新潮文庫版をゆっくり読んでみたとこ
ろ、細かいところまで正確な読みが行き届き、しかも日本語としてこなれた上質の翻訳であることを
発見して驚いた。」とある。じゃいいんじゃねえか。なんだい。
読破してから改めて感想を書くことにだろうが、本当に『ロリータ』は素晴らしい小説だ。ナボコフの
小説はほかにも好きなのがいっぱいあるけれど、これはベストワン。物語作家としての滑らかな筆の
進みと、知性的な作家としての実験性が、無理なく同居している。生き生きとして卑劣であり、ブ
リリアントでかつ救いようがない。
3月10日(金)
今日発売の「文藝春秋」四月号に掲載されている村上春樹氏の文章が、新聞やテレビでニュ
ースになっている。氏の自筆原稿が、無断で古書店に出回っている、これは盗品売買ではない
か、という内容だ。ネットオークションにも出ているようである。
新聞などにははっきりと名指しされていないが、「文藝春秋」の文章は、タイトルを「ある編集者
の生と死――安原顕氏のこと」としてあって、思い切り名指しだ。そしてこの文章は、単なる氏の
個人的な被害報告などではなくて、小説家と編集者の関係という、実にマァ複雑怪奇なる事情
についての、示唆にとんだ回想になっている。
僕は村上春樹氏の作品は、尊敬はするが熱狂しているわけではない。だからこの記事について
も、書かれていることすべてを素直に受け入れたとはいえない。なんといってもこれは、二人の対
立する当事者のうちの、一方が書いたものなのであって、もう一方の安原氏は他界している。書
かれたものが自己正当化や被害者意識のまったくないものだと思い込むのは、なかなか難しい。
「村上氏から見た安原氏」が書かれている、それ以上のものではないだろう。それで充分っちゃあ
充分なんだけれども。
しかしそれだけ距離を置いて記事を読んでも、安原氏が受け取った中央公論社向けの自筆原
稿が、古書店に流通していることや、中央公論社の保管庫にそれらの原稿が、最初から回って
こなかったこと、さらにそれら一連の事柄を村上氏はまったく知らなかったことなどは、疑いようのな
い事実と思われる。これらの状況証拠から、安原氏が「意図的に家人に指示を出し」て、自分の
死後、もしくは生前から原稿を売り払っていたことは、容易に推理しうるのである。
でもそんなことは、あんまり重要なことじゃない。
この記事に書いてある一番重要なこと。それは一人の人間が、本来どんな姿をしているかを見
極めることの難しさだ。
村上氏はこの記事の中で再三、安原氏を「正直な人」「助けてくれた」人、「口先だけでほめて
いるのではない」人だったと書いている。そうであればこそ氏は安原氏と共に仕事をし、原稿を渡
したのであって、村上春樹の初期の文学的功績は、安原顕氏との仕事によって生まれた部分が
少なくないのである。とりわけ重要なのはレイモンド・カーヴァーの翻訳だ。当時カーヴァーは存命
中で、日本ではまったく無名の存在だった。それを軽々と雑誌掲載した安原氏の大らかさは、確
かに信頼と賞賛に値すると思う。
どこかで、安原顕という人が変わったのだ。それは村上氏との確執にとどまらない(確執っていったっ
て、村上氏の方は相手にもしていなかったようだけれど)。この人はひところ文芸ゴシップでは有名
な存在だった。大江健三郎氏ともひと悶着起こしたし、死ぬ直前には坪内祐三氏ともやりあった。
癌発症を公表し、ぎりぎりまで文壇人のあれこれを罵りまくって死んだ。ところが一方で彼は八十
年代の文学シーンを活性化させた最大のプロデューサーでもあったので、まず映画批評家としての
蓮実重彦氏を誕生させたのはこの人だし、僕が知っているだけでも高橋源一郎氏の『虹の彼方に』、
吉本ばなな氏(当時)の『TSUGUMI』などは、安原氏が担当しているはずだ。僕が二十代の頃、
いいなあ、かっこいいなあと思って読んだ文学の大きな部分は、氏によって世に出されたといっても
過言ではないだろう。
一体、どこで、何があったのだろう。僕は安原氏とは面識などなかったし(面識のあった人は複数
知っている)、氏の書いたもの、氏について書かれたものを通してしか、推察することはできないの
だが、そもそも当初の作家や作品に対する熱烈な指示と愛情の中に、のちに現れるような激怒と
憎悪は、孕まれていたのではないかと思う。
記事によると安原氏は、小説を書いていたそうだ。しかしそれは、「とくに面白い小説ではなかった。
(中略)どうしてこれほど興味深い人物が、どうしてこれほど興味をかき立てられない小説を書かなく
てはならないのだろうと、首をひねった」ようなものだったという。しかも村上氏がそう思っていることを察
知すると安原氏は「腹を立てた」そうである。
ここらへんが僕は、鍵じゃないかと思う。僕だって自分の小説を見下すような口調でけなされたら、腹
を立てることだってある。しかし基本的に自作が不評である場合は、まず何よりも落ち込むのが先だ。
くらーい気持ちになって、俺ってほんと才能ないんだな、なんて思って、涙さえ出てくることもある。でも
なかなか腹は立たない。立てられない。自分が書いた小説が面白くないといわれて(もしくはそう匂わ
されて)腹を立てるとしたら、それは自分が相手に甘えているか依存している場合だろう。恥ずかしい
話だが僕は近親者から自作をけなされると、腹を立ててしまうことがある。甘えているからだ。安原氏
の中にも、そういう甘えがあったのではないか。
甘えん坊で小心で、しかも野心が強い場合、無意識でそれを表に出すまいとすると、しばしば人は
豪放磊落を装いたがる。図式的に考えれば単純なものだが、それを実地の人間から見抜くのは難
しい。こちらに好意と信頼を寄せているのであればなおさらだ。そしてあとになって裏切られるのである。
……実はこの記事には、まだまだたくさん教えられたことがあるのだが、いくらなんでも今日の日記は
長すぎる。あとは小説を書いている、編集者と共に仕事をしていく自分自身の中で、こっそり肝に銘
じておくことにしよう。
3月3日(金)
水曜日に妻が僕の新作『下北沢』の初稿を読んで、感動していた。ちょっと泣いてもいた。僕
の小説を読んで妻がああまで感動したのは初めてじゃないだろうか。手ごたえを確信。正直いっ
て、小説書いてて良かったなァと思えた瞬間だった。『下北沢』は五月にリトルモアから出る予
定だから、皆さんよろしくお願いいたします。
それで俄然気力が盛り返した僕は、今もうひとつの書き下ろし『亀蔵おじさん』を鋭意執筆中。
これ、実は一月一杯で初稿を書き上げる予定だったんです。思いのほか難しく、しかも予定よ
り長くなりそうなので、これまで難渋しておりました。でも今はがんがん書いていますから、ゴブリン
書房の津田さん、勘弁してくださいね。もっとも『亀蔵おじさん』の発売予定は六月だから、誰に
聞いても「一月が締め切りとは早い」とアドヴァイスしてくれるんですけどね。でも僕は一日も早く
完成させたいと思っています。
と、殊勝なことを書いたところで、今度はエラソーなことを書くが、日本の政治家はバカばっかり
だ。
民主党の永田議員が「堀江メール」なるものを振りかざしてカメラの前で自民党の武部幹事
長を怒鳴りつけたのも馬鹿なら、その信憑性に疑問があるとワイドショーで楽しそうに話してい
る自民党議員も馬鹿であり、真偽定かならぬまま党首討論を突っ切った前原って人も馬鹿、
「ガセネタ」と鼻で笑ってこれまでの批判や疑惑もついでに一掃しようとし、すらすらと予算を通
過させた小泉首相も馬鹿であり、くどくどくどくど民主党を批判し続ける武部幹事長以下自
民党の連中も馬鹿であり、当然民主党なんか全員馬鹿である。
僕はかねてから投票に行かない人たちが、「だってどうせ政治家なんて馬鹿ばっかりでしょ」と
頭ごなしに軽蔑しているのを疑問に感じていて、いや馬鹿かどうかは実地に検証してみなけ
れば判らないと思って辛抱強く見ていた。その結果判明したことは、政治家なんて馬鹿ばっか
りである。こずるいとか卑劣とか悪党だとかいう以前に、単なる馬鹿である。
もう投票なんかもしたくないし、政治についても考えたくなくなっている。好きにやらせりゃいい
じゃないか。不正でも増税でもすりゃいいじゃないか。勝手にやってくれよ。こっちは仕事が山と
あるんだから。
2月26日(日)
早起き、といっても8時前だが、に起きてNHK・BS2「週刊ブックレビュー」を録画する。僕
が出ているのだ。永江朗さんがわざわざいらっしゃって、インタビューしてくれたのだ。嬉しい。
出たのは例によって三分くらいだったけど。
見終わってビデオのスイッチを消したら、まったくどういうわけか、これまでさまざまな人から受け
た屈辱が思い返されてきた。書いてくれといわれて書いたら没になっただけでなく、感想も何
もくれず完全にシカトされたときのこととか、書いてくれといわれて書いた小説の登場人物を、
何度も何度も読み間違えられたときのことなんかが思い出されて、朝から暗然たる気持ちに
なった。
なんといってもナサケナイのは、僕がそういった人たちに今もすがって、仕事をさせてもらってい
ることだろう。それに僕は怒るのが巧くないらしい。怒ると取り返しのつかない恐ろしいことが起
こってしまうので、抑制するほうがまだマシ、と思ってしまうのだ。抑制すると陰にこもる。そんな
ところを人に見せたことはないが、妻だけはそれを察知する。そして、怒ったときには怒った方
がいいよ、といってくれる。猫たちの昔の写真を出してきて、気持ちをなごませてくれる。おかげ
で持ち直した。
でも雨が降っている日曜日に一人で店にいると、こんな日記を書いてしまう。テレビに出たん
だから少しはお客さんが来てくれるんじゃないかと思ったが来ない。この世界に僕をちょっとで
も好きでいてくれる人なんて、二十人かそこらだろう。二十人もいれば充分だが、こんな風に
いじけた気持ちになるときは、その二十人以外は全員僕を見下しているんだろうな、と思って
しまうのだ。
(なお、上記の文章については自覚がしっかりとあり、考えがあって書いていることなので、誰も
何もいってこないでくださいネ)
2月24日(金)
今日は実に珍しい一日になった。まず7時からNHK「名作平積み大作戦」の、昨年度
打ち上げパーティ。小規模ながら楽しい集まりで、シティボーイズのきたろうさんや書評家の
大森望さんなんかとちょこっと話せた。
このパーティで使われた特別編集のDVDに、きたろうさんが谷崎潤一郎を紹介した際に、
放送ではカットになった部分があった。それくださいといったらあっけなくくれた。ラッキー。
そこが10時前にお開きとなり、さて帰ろうとしているところへ小学館の石川和男さんより電話。
今、西加奈子さんと呑んでるんです、渋谷に向かってるんです、という。NHKの方は表参
道だったので合流。販売の新里さんや宣伝の長谷川さん、庄野さんなどともお会いする。
さらに紀伊国屋書店の文藝担当で西さんが愛してやまない白井さん(女性)と、『ぼん
ちゃん!』の作者清水春日さんも後からやってきて、こっちもちょっとしたパーティ状態。西さん
の新作『きいろいゾウ』が完成したんだから、パーティは当然なり。みんなさかんにデジカメで
写真を撮る。石川和男担当の小説家が三人集合したのはこれが初めて。西さん大ハシャ
ギで『仁義なき戦い』の千葉真一の物まねなどする。清水さんは終始冷静にて酔わず。
藤谷は西さんの暴走を毒舌で食い止める役。
石川さんにタクシーで送ってもらって一時ごろ帰宅。
2月20日(月)
トリノオリンピックというけれど、実はこれ、人間のオリンピックです。
……というダジャレを自分の力で考えて、店に来る人よそで会う人片っ端から連呼しては
ヒンシュクを買っている、藤谷治です。
メダルがなんだとかどうだとか、マスコミではいっておるが、こういうときこそ真に面白いウイン
タースポーツが判るというものだ。男子フィギュアとかジャンプなんて、大して面白いもんじゃ
ない。
これまでのところ、図抜けて面白かったのは、何といってもスノーボードクロスとカーリングであ
る。だけどこの二つの面白さは、味わいが両極端に違う。
カーリングは日本女子チームが現在健闘中だが、「氷上のチェス」といわれているそうで、チェ
スも将棋もどへたくそながら好きな僕としては見逃すわけには行かない。チェスよりルールは
単純だが、その単純な結果を実現するには、圧倒的な集中力と繊細さ、技術とチームワー
クが必要になってくる。頭脳戦であり、経験がものをいうから、年齢が高くても現役で一流
の人は少なくないようだ。ノルウェイにもスウェーデンにもイギリスにも、四十歳以上とおぼし
き選手がいる。平均年齢二十代後半なんていうチームは、日本くらいなものだろう。名人
戦で奮闘している若手、という感じで嬉しい。
ハウスと呼ばれる円内の、中心により近い場所に石を置けたチームの得点になり、相手チー
ムはほかにいくつ石を置いていようと零点というルールが生み出す、さまざまな作戦と、それ
を打ち破る超絶技巧の妙は、とても文章にして再現できるもんじゃない。是非とも実地で
見ていただきたい。昨日の対イギリス戦なんか、一投ごとにはらはらした。
一方スノーボードクロスは派手で剣呑でスピーディである。スノーボードなんてあんなもの、
一人で滑ってたって危なっかしいのに、クロスじゃ四人いっぺんに滑るのだ。しかもどうやらタ
イムより順位優先なので、もう滑りながら喧嘩同然の状態である。この競技でも日本人女
子・藤森選手が七位に入ったが、それだってどうして七位になったか、あなたは知ってるか?
まず予選で十六人が選ばれて、藤森選手は十五位ですれすれ通過した。そのあと準々
決勝でベスト8を決めるわけだが、ここで藤森は出遅れた。かなり距離を置いて最下位を
滑っていたところ、前の二位と三位の選手が接触してすっ転んだ、その間隙を縫って二位
に上がったのである。運も実力のうちなのである。
決勝戦も面白かったねえ。四人のうち二人が転んでスイスとアメリカの一騎打ちになるとこ
ろが、アメリカはばんばん差を広げて独走態勢、こりゃもうウイニングランみたいなもんだと思っ
ていた矢先、なんとゴール直前にすっ転んだのである。独走なのに。あとでVTRを見たらなん
と、勝利を確信してエアーなんぞをやっちゃって、着地に失敗しちゃったのであった。泣いても
泣ききれない。スイスは大喜び、星条旗を振っていたギャラリーは凍りついていた。
これから日本のメダルがどうなるかも、まー見てますけど、それよりこの二つのスポーツの面白
さを知ったのが、今次オリンピックの最大の収穫になりそうである。
2月16日(木)
二ヶ月に一回、病院に通っているのだが、僕は今日がその日であるとずーっと前から思っ
ていて、妻を連れて朝早くに出かけた。病院は遠いのである。小田急線に乗って南武線
に乗って京浜東北線に乗らなければならない。今日は昨日一昨日と打って変わって寒
い。雨もぱらついた。そんな中満員電車に乗るために乗換えを繰り返すのはウンザリする。
しかも最後の京浜東北線で、今日は人身事故があったとかで、一駅に十五分以上もか
かってしまい、もう時間には間に合わない。さらに最寄り駅からタクシーに乗ったら道が混
雑している。もう本当に怒髪天をついた。
ぷんぷくりんになりながらようやっと病院に着くと、あなたの予約は23日で今日ではないと
いう。それを聞いたときには、僕の不機嫌に辛抱強く付き合ってくれた妻に合わせる顔が
なく、何のことはない、全部僕が悪かったのだと情けなくなった。
ところがお医者さんがとてもいい人で、結局診てくれた。無駄足にならずに済んだのだ。世
の中に善意はやはりある。僕は虐げられているわけではない。ただ病的に間抜けで致命
的にガサツで破壊的にずぼらなだけだ。
ところでその妻が、明日NHK衛星第2で夜の7時30分から放送の「ビューティフル・マインド」
という素晴らしい映画の字幕翻訳をしたから、これを読んでいる人は全員見てください。よ
ろしくネ。
2月10日(金)
仕入れのために神保町に行ったら、すずらん通りでフランス文学者の鹿島茂さんが歩い
ているのを発見。「お、鹿島茂だ、有名人だ!」と心で叫んで顔を見ていると向こうもこっ
ちを見ている。だけどまあ向こうは僕を知ってるわけないと思って通り過ぎてから気がついた。
向こうも僕を見知ってはいるのだ。同じテレビに出ていたのだ。「名作平積み大作戦」に。
一礼もしなかったと思ったが時すでに遅し。ごめんなさい。
そして「フィクショネス」に帰ってきて疲れたーとか思っていると、よしもとばななさんがお買い
物帰りに寄ってくれた。考えてみたらご家族なしで一人でいらしたのは初めてだ。
いろいろ話す。小説の書き方とか人間関係の対処法とか、短時間で得るところはとても
大きかった。このところ書下ろしが進まず落ち込んでいたけれど、心がぐーんと軽くなった。
やっぱりキャリアのある人は経験のストックが違う。
そこへ妻より電話があり、今下北沢にいるという。何でもいいから大至急ここへ来いと命令
して、ようやく妻をよしもとさんに引き合わせることができた。なんか初対面なのに話している
のを見ると楽しそう。僕も幸せだった。よしもとさんと話していると幸せな気持ちになる。小説
もがんばろうと思えるようになる。いつもだ。
結局よしもとさんは小一時間も僕たちに付き合ってくれて、帰ってからも妻は嬉しそうだった。
そのあとこのあいだあまりの寒さに腹を立てて買った二千円の電気ストーブを妻に見せたりし
てすごす。
明日はその「名作平積み大作戦」の収録。
2月2日(木)
僕は今、狛江に住んでいる。通りに面したマンションだ。今年に入ってからこのマンション
界隈、もしくはマンションそのものが、何だか災難に見舞われまくっているのである。
最初は今年も始まったばかりの頃、夜中に仕事をしていると、外でごーん、ばりばりっと音
がしたかと思うまもなく家の中が真っ暗になった。いきなり停電である。充電してあったパ
ソコンだけがこうこうと光っている。和室で寝ていた妻は飛び起き、猫は姿を消してしまっ
た。
表の通りで車がUターンをしようとして失敗し、電柱に激突、そして送電がとまったという
わけだった。通りに面している家は軒並み停電になった。パトカーは来る消防車は来る
の大騒ぎになったが、肝心の東京電力がなかなか来てくれなくていやだった。通電する
まで二時間くらいかかったと思う。
それから二週間くらいして、今度は何も異変がないのにまた消防車とパトカーがマンショ
ンの前に止まった。何だか判らない。不安である。やがて近所でガス中毒があったことが
判明した。このときも騒ぎが収まるまで数時間かかった。
つい三日ほど前には、恐ろしい数の消防車が家の前を通り過ぎていった。ベランダへ出
ると街中が焦げ臭い。テレビニュースで知ったが、さほど遠くないところの一軒家で火事が
あり、年老いた母と息子が亡くなったそうである。
そして昨日。
関東地方に地震があった。いつもの、おなじみの地震だ。別に大地震でもなんでもない。
ところが地震のあと水道が全然でなくなった。夜の九時過ぎである。まだ夕食を食べてい
た人もいるだろう。まったくやってらんないよ。
しかもだ。こちとらすぐさま不動産管理会社に電話して、窮状を訴えているというのに、
電話に出た奴がなんだかノラリクラリしやがって、最初の電話で折り返し電話しますといっ
たくせに電話してこない、しびれをきらして二時間後にもう一度連絡すると今日は直せま
せんときたもんだ。近所のコンビニに行って水道水を貰ってきた。ナサケナイ。結局水が出
るようになったのは今日の昼近くになってからである。妻は怒り狂い、僕は壁を殴りたくなる
衝動を抑えなければならなかった。
一体、こういうちょっとした不便がたて続けに起こると、何かそこに運命の意図みたいなもの
が感じられちゃうのは、まったく僕の悪い癖である。このマンションのどこかに、悪運に見舞
われた人がいるんじゃないだろうか。いっとくけど、それは僕ではない。僕はラッキー・マンだ。
悪いことばかりは起こらない。いい知らせもあった。我が友・空気公団が全国ツアーを敢行
し、大阪や仙台で好評を博したとのことである。来る日曜日には渋谷でのライブに招待さ
れた。だもんで今度の句会はお休みします。急なことですみません。
1月24日(火)
夜「小説すばる」の取材を受けていたところ妻より留守電にて堀江社長逮捕を聞く。小
説すばるのOさんもドビックリ。出来るだけ早く帰宅した。
テレビをつけてみるってえと、もう上を下へのてんやわんやの特別番組のと、大変な騒ぎ
ようである。TBSなんぞヘリコプターでホリエモンの乗った検察の車を空撮しておったが、
あんな馬鹿なことはしないがいい。さすがの僕も食傷気味になった。
しかし昨夜から今朝にかけての執拗なる堀江逮捕報道によって、いろいろなことを知った。
その挙句の感想だが、あのホリエモンて人、そして逮捕された幹部たち、みんな悪いことの
し慣れない人たちなんじゃないだろうか。子供の頃から隠し事をしちゃあ親にばれて恥ず
かしい思いをしている僕から見ると、ライブドアは買収偽装にしても粉飾決算にしても、
あまりにもガードが甘すぎる。「99.9%発覚しないと思います」なんてことを、メールに
書いてどうすんだ。メールは内緒話をするのにもっともふさわしくないツールである。内緒
話というのは、間に何かを挟んではいけないんである。通信機器の使用など、もっとも愚
かしい。じかに会って、口を耳に近寄せて、小さい声で話すのが内緒話。それくらい子供
の頃に覚えておけ。
覚えておかなかったんだろうな。ずーっと勉強したりアニメを見たりゲームをやったりしてたん
だろうな。そして一生懸命働いて、世界一の会社を作ろうと思ったんだろう。実際そんな
ことを堀江がいってるのを、昨日テレビでやってたよ。「そうだな、三年でなりたいね、世界
一に!」ってーと社員にドカーンとウケる。周りにはコスプレの連中がフォーとか何とかいって
いる。そんな映像。
「Ars longa, vita brevis.」というラテン語はたいてい「芸術は長く、人生は短い」と訳される。
Ars とはartのことで、これは芸術のみならず、広く人間の「作り上げるもの」一般を指す。
ビジネスにもあてはまることだ。大きな業績を作るのには、時間がかかるのである。三年や
五年じゃできないんである。それが成長と勝利と報いられる努力しか知らない人間、他人
とのコミュニケーションを自己主張の形でしかできない人間、頭の中で「成功の法則」なん
ていう世迷いごとを弄んでいる人間には、見えない。
今後ライブドアを持ち上げた人々がどういう言動にでるか。まだ一応の興味はあるが、さす
がに飽きてきた。火事場見物はそろそろやめよう。
1月22日(日)
自分で悪戦苦闘しながら小説を書いていると、書いていなかった頃に比べて小説が
見えてくる、ということは、僕レベルの小説書きでも、あると思う。
今、ほんの出来心で村上春樹『国境の南、太陽の西』(講談社文庫)を読み返して
いる。これは刊行当時読んでいいなーと思っていたら、世の書評や文芸評論がコテン
パンにやっつけていたので、いつの間にか「やっぱ駄目だ」などと、世評に流されて考え
を変えてしまったという、カッコ悪い思い出のある作品だ。
その後文庫化されたのを読み返し、これは実に愛の空気が充溢した素晴らしい作品
だと思い直したのだが、今また読んでみると、何というか才能のある人が雑に作った小
説という感じがする。村上春樹の悪いところがモロ出しになっていて、読みながら「やっ
ちゃったー」と感じる箇所もいくつかある。
でもそういう作品だからこそ、村上春樹の小説の魅力もまた露骨に見えてくる。今は読
みながら、変なところが気になるんである。
それは登場する女性が「○○だわ」という喋り方をすることだ。これは僕には重要なこと
に思えてしょうがない。なんでかっていうと、僕は実生活の中で「○○だわ」という喋り方
をする女性を、ほとんど見たことがないからだ。
一回もないわけじゃない。だけど現代の女性が「だわ」を使うとき、そこには何かしらの
警戒心があるように聞こえる。相手が僕を信用する、少なくとも気兼ねなく喋っている
ときには、「だわ」はまず出てこない。「だわ」「かしら」という語尾は、耳で聞いても、字
で読めばなおのこと、演技的に感じられる。僕が男性だからではないだろう。
しかし僕が思うに、この演技的な喋り方こそ、村上春樹の小説のチャームポイントなん
だ。歌舞伎に女形というのがあるでしょ。男が女装する。あれは女でもないし男でもない。
人間がイデア的に感じる「女性性」が、舞台上かりそめに現れるのである。女形の魅力
は、それがかりそめなればこそだ。村上ワールドの女性、そしておそらくは男性もそうであ
る。彼らはかりそめの男性であり女性であり、この世界には存在しないクリーチャーなのだ。
そんなことはどの小説にもいえることかもしれない。しかし村上ワールドの場合、それは読
者を、こっそり美男美女の気持ちにさせてくれるように作用する。これだ。読者を二枚目
気分にさせること。これが大切。僕にはできっこないけどね。
1月19日(木)
と、いってるあいだにライブドアの株はストップ安になり、IT関連株も値下がり、ついでに
上場されている全銘柄が安くなって、平均株価は500円くらい安くなり、東証は取引
を停止してしまい、香港やフランクフルトでもどんどん株が安くなっていった。まことに株と
いうのは馬鹿みたいなものである。
どうして僕は以前から、ライブドアの堀江社長に関心があるのだろう。しかもたいていは
ネガティブな、不愉快な関心の持ち方をする。ああいう人間に人気がある、ということも、
不愉快に興味深い。
これは多分、僕の金銭欲と関係があるに違いない。やることなすことトントン拍子にうま
くいって使いきれないくらいの大金を手に入れる、というのは僕の夢である。それを僕より
ほとんど十歳も年下の男が実現した。しかしそれがテレビに現れると、ただでさえみっとも
ない俗物でしかないうえに、今度の事件で「ホリエモンがムイチモンに」(週刊文春の広告
より)なるかもしれないというのは、なんともいえず心休まる話なのである。僕の夢は俗っ
ぽくてみっともなく、しかも成功しない、イコール今の僕でいいんだ、という、歪んだ納得を
しているんだと思う。そういう自分は醜い。
と、書いている間に、ライブドア関連の証券会社社長が那覇市のカプセルホテルで自殺
したとのニュースが入ってきた。
なんでも非常ベルが鳴ったので従業員が駆けつけたところ、室内で出血していたそうだ。
非常ベルは自分で鳴らしたらしい。
時代の寵児の側近で証券会社の社長が、ところもあろうにカプセルホテルに宿泊し、包
丁で手首を切り、しかる後に非常ベルを鳴らす。これほどまでに悲痛な自殺はまたとな
い。亡くなった方には申し訳ないが、こんな死に方はしたくない。してはいけない。
このことと関係があるかないかは判らないが、僕は人間が価値基準をひとつしか持たない
のは、危険だから絶対にやめたほうがいいと思う。「金がすべて」「仕事がすべて」と思って
いると、金なり仕事なりを失ったとき、すべてを失うことになる。だが人間の生命はそんなに
簡単なものではないし、整然としたものでもなければ、脆弱なものでもないのだ。ライブドア
という堀江帝国で、金がすべてという考えが、かなりな程度まかり通っていたとすれば、それ
はそれ自体が有罪である。またそういう考えが、社会においてまかり通っているのなら、社会
は有罪である。ほんとにそのへんのことは、しっかり考えていかないといけない。それが文学の
役目だってことは、いうまでもない。
1月17日(火)
昨夜来のライブドア家宅捜査、加えて本日のライブドア株ストップ安、そして耐震偽装の
ヒューザー社長証人喚問に、宮崎勤の最高裁判決。今日は妻の誕生日である。
妻によるとこの日は、何かしら大事件が起こることのとても多い日だそうである。だいいち今
日は阪神淡路大震災から11年目。あの災厄も今日だったのだ。
しかしたとえそうだとしても、今日が妻と僕にとってめでたい日であることに変わりはない。ラ
イブドアが駄目になったっていいじゃないか。なったほうがいいじゃないか。今回の事件がIT
バブル崩壊の序曲となることを望む。また証人喚問や最高裁判決だって、悪事が報いを
受けるという点でいいことである。
妻にはインドの香箱をプレゼントした。
1月16日(月)
もう今さら明けましておめでとうなんて恥ずかしくていえるもんですか。でも今年もよろしく
お願いします。
昨年までに仕上げる約束だった書下ろしを先週ようやく一応書き上げて、今はまた今月
一杯で仕上げる約束の書下ろしを執筆中。それが終わったらもうひとつ書下ろしがあって、
同時に「あとん」連載中の小説も書き、これから始まる連載も二つあるという、そしてその
すべてがいずれ劣らぬ傑作ぞろいという、アホみたいな仕事量が今年は待ち受けている
のであった。
だから日記を書かないでいたあいだは基本的にずーっと仕事。仕事仕事仕事。実家に
は帰ったが妻の家にはとうとうご挨拶しないままである。申し訳ない。
今年の読み初めは鶴屋南北『東海道四谷怪談』(岩波文庫・絶版)。まだ途中だが何
度読んでも素晴らしい。ただしお正月からこんな恐ろしいの読んで祟られませんようにとビ
クビクしています。
そう、四谷怪談で思い出したけど、今年のお正月は歌舞伎の番組を観ることが多かった。
中でも国立劇場で今でもやっている『曾我梅菊念力弦』(これで「そがきょうだいおもいの
はりゆみ」と読むんですって)の生中継は、全体の三分の二以下しか見られなかったけれど
良かった。尾上菊之助という役者を初めて見たが、「これ、男?」と思うような、ふるいたつ
美人の女形で、ああ三島由紀夫が歌舞伎に魅せられたのはこれかーなどと、妙に納得し
てしまった。
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