12月20日(水)〜29日(金)
忙しくていろんなことがありすぎて日記が書けなかった。まず筆頭に書かなければならないのは、ミロンガ
に行ったこと。ミロンガというのは、よく知らないが、タンゴのパーティというかお祭りのことらしい。妻に連れら
れて行ったんだけど、面白くもキツい体験だった。
時間よりやや早めに行ったらあんまり人がいない。そのうちメークアップや髪型やコスチュームを競うがごとき
ボニータ、ボニートたちがわらわらと集まってきて、主催者が初心者向けのレクチャーを始めた。この日初
めてタンゴを踊るという人も少なくなかったのに、なぜか僕ばっかり指導を受ける。簡単なステップは飲み込
めたけど、もうその時点で汗びっしょりである。
やがて音楽が始まって慣れた人からどんどん踊り始めた。タンゴは男が女を誘わなければならず、女は誘
われたらよっぽどのことがない限り断ってはいけないそうだ。だからといって見ず知らずの女性をオイソレと踊
りに、それも今日初めてたったひとつステップを覚えただけの踊りに誘えるわけがねーじゃねーか。しょうがな
いから妻とばっかり踊った。三時間ばかりいて、生演奏もあったりして、雰囲気は堪能したけれど、妻以外
の女性と踊ったのは二回だけ。帰る途中で膝から下が前代未聞の筋肉痛になった。
それでもミロンガはとっても面白かった。小説のことなんかも考えた。
そしていよいよ年末が迫ってきたなと思ったら、妻が13年もの長きにわたって大事に使っていた大型テレビ
デオが二本の光の線を残して何にも映らなくなってしまった。ビデオ部分が壊れてもデッキを買い足してだ
ましだまし使っていたけれど、とうとう天寿を全うしたということだろう。これはいいチャンスかもしれないと判断
して、急遽いわゆるところの「地上デジタル対応テレビ」を購入。そしたら今度は取り付けたビデオデッキが
動かない。いやんなっちゃいました。
それでも年末はひとつを除いてきっちり仕事納めもできたし、まあまあ悪くない寝正月が送れそうである。
皆さんもどうか、よいお年を。

12月19日(火)
講談社のサイトに連載している『聞書四谷怪談』脱稿。
前にも書いたけれど、これは徹頭徹尾、勉強のつもりで書いた。四世鶴屋南北の書いた戯曲を、ほと
もちろん、僕は日本でこれまで書かれたすべての戯曲を読んだわけじゃないが、翻訳する原書を読むよ
うにして読んでいったことで、僕はこの『東海道四谷怪談』こそ、我が国演劇史上の最高傑作だと断言
したい気持ちだ。台詞のひとつひとつ、ト書きに指示されたアクションのひとつひとつが、実に豊かな物語を
持っている。人物の設定はひねりにひねってあって、すべてをすぐには理解できないほどだが、後になって
「そんなところにまで!」と思わせるドラマを持っている。
そのすべてを現代語訳できたとは思わないが、とにかく書いてあることは一通りなぞった。省略はほとんど
しなかった(人物の設定を若干単純化した。でないと収集がつかなくなるほどなのだ)。戯曲を読み慣れ
ない人は少なくないし、江戸歌舞伎の台本となればなおのこと読みづらいものだから、僕の翻訳もまあ
存在価値はあると信じます。

12月17日(日)
昨日からフィットネス・クラブに通うことにした。痩せる痩せないよりも、もっと身体を健康にのびのびとしたい
からだ。さっそくいろんなマシンを使ってトレーニング。使いなれないし身体を動かしてないからさっそく筋肉
痛。でも楽しい。
自転車をこぐようなマシンがあって、やりながら本が読める。話題の太田光・中沢新一『憲法九条を世界
遺産に』(集英社新書)なんかがちょうどいい。でも残念ながら、あんまり面白いと思わなかった。全部が
フツーだった。
でも読みながら、そこに書いてあることじゃなく、自分なりに憲法について考えることができたのは良かった。
僕は憲法改正に、あんまり賛成しないという程度に反対である。理由は第一に、別に今のままで支障な
いからである。他国が攻撃してきたらどうする、という人がいるようだが、そうなったら自衛隊が自衛するの
を、僕は応援する。それだけの話。
第二に、新しい憲法を作るのは、想像するだに困難だからだ。日本の憲法は日本人が作るべき、という
のなら、日本人が憲法を作る方法を考えなければならないが、今のところ政治の現場で、そういうことは
考えられていないようである。新しい憲法に関する自民党の草案、というものはあるらしいけれど、日本が
自民党でないことは、誰でも知っている。
一億三千万人の日本人すべてが新憲法作成に関わることはできない。とすれば日本人の代表が集まっ
て考える必要がある。そしたら政治家ももちろん参加しなければならないだろうが、他にも法学者や哲学
者や歴史学者、詩人、会社やご近所で評判のいい人、職人さんや自営業者、主婦などからも代表が
でなければいけないはずだ。そしてそれは、特定の政治的思惑や一部の人間に有利なグループであって
はならない。だから日本国政府は第三者機関に新憲法作成の仕事を委託し、あたうるかぎり公平に議
論をする環境を作らなければならない。そういう動きは、今のところ全然見られない。それなのに憲法改正
をいくら唱えたって、説得力も情熱も感じられないわけである。
……うーん。
僕の考えていることも、そうとう凡庸だなあ。

12月14日(木)
ヴィラ=ロボスというブラジルの作曲家に『ブラジル風バッハ』という作品がある。チェロ8台(か12台)にヴォ
カリーズのソプラノか何かがついた組曲、だったと思う。演奏会とテレビ・ラジオでしか聞いたことがないし、もう
ずーっと聴いていないから、記憶は実に曖昧なのだが、その名のとおりブラジルの情熱的民族音楽と、バッ
ハに始まりバッハに至る平均律・西洋音楽の見事な迫力の混淆であった。
ガブリエル・ガルシア=マルケス『コレラの時代の愛』(新潮社)を、ついに読み終わって、『ブラジル風バッハ』
を思い出した。
この小説は作者も認める十九世紀風の堂々たる大河小説であり、『百年の孤独』みたいに老人が魔法
を使えたり、農場で二千人も殺されたのに誰も気がつかないなんてことは起こらない。あくまでもリアリズムの
範囲内で起こる出来事を連綿と物語った作品である。フローベール、モーパッサン、ゾラの影響は明らかで
あり、オスカー・ワイルドがちらっと通りかかったりして、十九世紀文学への敬愛はたっぷりと表現されている。
にもかかわらずこれは十九世紀文学でもないし、西欧文学でもない。南米の湿気と情熱、ガルシア=マル
ケスの奇想と迫力、二十世紀文学の言語表現と実験に満ち満ちた小説だ。最後の最後までテンションの
下がらない筆力に、僕はまだ圧倒されている。
細部に奇妙な謎が残されているのも興味深かった。最初のシーンである人物の死が描かれているのだが、
結局その人が何を秘密にしていたのかは明らかにされない。また、冒頭の文章から出てくる「アーモンド」と
いう単語は、この長大な小説の中で忘れたことにぽろっと出てくるんだけど、それって何か意味があるんだろ
うか。もう一回読まないといけないかも(ため息)

12月13日(水)
銀座でクリント・イーストウッド監督作品『父親たちの星条旗』。緊張感のみなぎった名作だった。
イーストウッドの監督としての強みは、スタイルというものを持たないところだと思う。『ガントレット』と『ルーキー』
と『父親たちの星条旗』のあいだには、作家的個性の共通項(小津安二郎とかオーソン・ウエルズなんかの
映画には露骨にあるもの)が、ほとんど見出せない。むろんこれらはどれも、監督的手腕の確かさと、重層的
な面白さを持っていて、イーストウッドが現存する映画監督の中でも最高級の芸術家であることは言をまた
ない。つまりイーストウッドは、スタイルに依存しない芸術家であるといえるだろう。
硫黄島の戦いを描いた作品となれば、緊張感がみなぎるのは当然なのかもしれないが、それにしてもこの映
画での戦場の描かれ方は他に類を見ない。それにこの映画の緊張は、単に戦場の凄まじさによってのみあら
われるわけではない(単に、と書いたが、戦場シーンの壮絶さ、悲惨さはハンパない)。
これは硫黄島にアメリカ軍が立てた星条旗と、その写真をめぐる物語だ。写真には兵士の顔がまともに写って
いない。それも理由の一つだろうが、その写真は厭戦ムード漂うアメリカの世論に戦意高揚宣伝として非常
に効果的だった。ためにこのとき星条旗を立てた兵士たちは、戦争国債の広告塔として駆り出される。この、
駆り出されるそんじょそこらの無名兵士の心の動きが、とことん緊張感を持って描かれているのである。
この映画は硫黄島二部作のアメリカ編でもある。日本編『硫黄島からの手紙』は、どの映画館でも大入り
満員だそうだ。騒ぎが収まったら見に行くつもり。

12月11日(月)
仕事をしています。もうずーっと仕事です。それでも無理やりガルシア=マルケス『コレラの時代の愛』(新潮社)
を読み続けています。まだなかなか終わりそうにありません。
これから読みたいと思っている本も山のようにある。中沢新一『芸術人類学』とジル・ドゥルーズ『シネマ2』と古
川日出男さんの新刊は絶対読みたい。歌舞伎にも行きたいし映画も見たい。まったく人生という奴は、この
世にある最上のものだけを掬い取ろうとしても、全然時間が足りない。これはどんな人にとっても同じだ。だか
ら自分が作るものも最上のものを、少なくともできるだけそうであるように心がけて、作らなければならない。

12月9日(土)
えーっとね、昨日奥さんと買い物に行って、ジャケットとパンツを買いました。あと奥さんがシャツを買ってくれまし
た。あとは仕事に追いまくられるばっかしだ。
今やっているのは『聞書四谷怪談』。うまくいけば18日に終わる計算。鶴屋南北の現代語訳だから、小説と
違って計算ができるのがありがたい。一日にどれくらいやればいいかがはっきりするから可能なんである。それが終
わったらただちに『洗面器の音楽』最終回。でも担当のOさんが正月は10日くらいまで出社しないそうだから、
こっちは余裕ある、と思う。
これとは別枠で幻冬舎の書下ろしを始めた。これはそれ専用のハイテンションを蓄積しては書き、蓄積しては書
きするもので、出るのは再来年てことになったし、これも焦る必要なし。
藤谷と忘年会をやりたがってくれる編集者が何人もいるのは嬉しい限りである。それほどの者じゃありませんとまじ
で思う。とっとと仕事をやっつけて、皆さん飲みましょう。

12月3日(日)
というわけで一日働く。夜は句会。
昨日のNHKの収録で思い出したことがあるから、ここに書いておく。
俳優の森田健作氏が石川達三『青い山脈』を紹介した。実質的にあまり『青い山脈』の話が多くなくて、大半
が森田氏の青春論みたいなことだったが、中でいわゆるいまどきのギャルが使うメール文字が出てきた。「愛しい」
を「愛UL1」と書くような(「U」が「し」で「L1」が「い」)、あれ。あれについて森田氏が、まーキャラクター通りという
べきか、
「なんで美しい日本の伝統的な文字を使わないんだ?」
みたいなことをいっていた。そのときは笑ってみてただけだったけど、今考えてみると、あの呟きは間違っていると思う。
ああいうギャルのメール文字みたいなものは、日本の文化伝統の中に間違いなく存在している。
ひらがなの「し」がアルファベットの「U」に似ているから、代わりに使う、あるいは、文字を崩していく、という発送は、
そもそも「仮名文字」というものが、「宇」を「う」と書き、「以」を「い」と書く発想と同じである。つまり仮名文字という
のは漢字のギャル文字なのである。
あ、そうそう。それに仮名は「おんな文字」と呼ばれた。女の使う文字、つまり公用語ではなく、私的な文字だとみ
なされていたのである。これは「ギャル文字」と同じ扱いではないか。っていうかギャルっておんなって意味でしょ。だっ
たらまるっきり同じじゃないか。ギャル文字が日本の文化伝統に即している、っていうか日本文化そのものであると
いうゆえんである。
最近、美しい国とか、日本の伝統を守ろうとかいう話をよく聞くけれど、僕の知る限り、日本の伝統が今も残って
いるのは、能舞台とか茶の湯の席ばかりではない。ギャル文字も伝統的なものだし、あとかつてのガングロ、今の
ギャルサーね。あれはもろに歌舞伎の起源をなぞらえている。豊臣秀吉の朝鮮出兵にかりだされた若き兵士たち
が、帰国後に戦場の興奮をそのまま持ち帰り、顔に化粧を塗りたくって踊りまくったのが歌舞伎の始まりとされてい
る。ギャルサーがパラパラを踊るのと、なんら違いはない。
それから、お笑い芸人のトーク番組を見ていると、松尾芭蕉なんかがやった俳諧興行って、こういう雰囲気だった
のかもしれないな、と思うことがある。芭蕉とその弟子たちが諸国の金持ち連中に招かれて、当意即妙に連句を
作り、面白おかしいことをいってお金を貰っていたのが俳諧興行。俳諧の諧は諧謔の諧である。
こうしてみると逆説的なことに、伝統というのは旧態依然と昔のやりかたを墨守することにのみあるわけではないこ
とが判る。古きよき時代(?)を懐かしみ、今どきの若い者を嘆くような人に、伝統は決して都合のいいものでは
ない。

12月2日(土)
NHKで収録の待ち時間にゲラを直していたら、自分の小説のヘタクソぶりに悲しくなった。ヘタクソというより、
何か決定的に欠落しているものがある。いやもちろんあるだろうが、それが何なのか、はっきりしない。
人の心に残るとか、読んだだけのことはあったと思わせるものが、僕の小説にはないんじゃないかと疑ってしまう。
控え室でも書店員の人たちと本屋大賞の話になって、喋っているうち誰もそんなこといってないのに藤谷治の
小説は論外といわれているような気がしてきて、特に本屋大賞が欲しいというわけでもないにもかかわらず、落
ち込みの勾配はさらにするどくなった。
こういうことは、しょっちゅうある。きっと物を作っている人には、誰にでもあるんだろう。川端康成にもあるんだろう。
ポール・オースターにもあるんだろう。フィリップ・ソレルスにはなさそうだけど、あるかもしれない。ジョルジュ・シムノン
は、そんなことで落ち込んでるヒマがあったら小説いっこ書けた。何の話を書いているんだ俺は。
そうだ。落ち込むのはいいけど、それをうじうじ日記になんか書いているヒマがあったら、少しでもいい小説が書け
るように、働くべきである。

11月29日(水)
芝公園メルパルクホールにて「タンゴリベルタ2006」。チケットは妻の誕生日プレゼント。
生まれて初めてのタンゴ、そして生演奏。見ているだけでぞくぞくと興奮した。日本人もたくさん出ていてかっこ
よかったけど、やっぱりアルゼンチンタンゴ・ダンス協会会長、小林太平氏と江口祐子氏が人間のかもしだす
色気で群を抜いていた。このツルッパゲのじいさんは、三遊亭円生くらいの色気がある。
背が高くてスタイルがいいダンサーなら見栄えがするかというと、必ずしもそうじゃないのもタンゴの面白いところ
だと思う。実際、この日のトリをつとめたミゲル・アンヘル・ソット氏は、タンゴの第一人者だそうだが、決して背が
高いわけではない。瘠せてもいない。さらには振り付けがとりわけ派手というわけでもない。でもこの男が出てく
ると、それまで出てきたそれぞれに見事なダンサーたちの存在を、一瞬忘れてしまうほどだった。
演奏も良かった。僕はたいしてタンゴの音楽を聞き込んでいるわけではないが、バンドを率いる会田桃子氏の
ヴァイオリンはピアソラのバンドにいてもおかしくないレベルだと思う。
幻冬舎の書き下ろしでプレイボーイの物語を書こうと思っているんだけど、この日は断片的なイメージやヒント
をずいぶん得た。

11月25日(土)
ガブリエル・ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』(木村榮一訳 新潮社)を、ようやく読了。
こんなじじいの一人称で、こんな一行目から始まる小説なんだから、ろくな終わり方はしないだろうと思ってい
たら、どんどんろくでもない方向に話が進んでいって、やっぱりなと思っていたら、最後にぶわーっと光がさしてき
た。やっぱり大したものだ。
エピグラフに川端康成の『眠れる美女』の冒頭部分が引かれている。そしてこの小説はかなりはっきりと『眠れる
美女』に呼応して書かれている。
ガルシア=マルケスも川端もノーベル賞作家だけれど、作家性はかなり違う。水と油といってもいい(もちろん川
端が「水」だ)。最大の相違点は、ガルシア=マルケスが全世界の作家に影響を与え、影響下に書かれた優れ
た作品を生み出しているのに対し、川端の作品は後世の作家たちに、読まれてはいてもさして大きな作品的
影響を与えていない。っていうか川端の場合、模倣すらできないくらい超独特だってことが、小説家たちに明ら
かなんだろう。ガルシア=マルケスだって真似しちゃいけない・真似られっこない作家だが、創作意欲に対する
起爆力があるんである。
その最も起爆力がある作家が、最も起爆力の薄い作家に起爆されたのがこの作品。娼館に熟睡している少
女がいて、老人が客となる、という設定はそのままに、川端作品とはまるっきり違う小説世界を作り上げている。
誤解を恐れずにいれば、これはアジア的川端の世界に対する、南米的ガルシア=マルケスの受け答えではない
だろうか。そんなのはステレオタイプの発想かもしれないが、どちらの偉大な作家も、生まれ育った場所の風土を
色濃く受けているという点では共通していると思う。川端の究極的変態エロティシズムが、老いから死へとつなが
る日本的無常観と暗い叙情を漂わせているのに対し、ガルシア=マルケスの、九十歳になったから未成年の処
女をべろべろにもてあそんでやるぞ! というアッケラカンとした変態エロティシズムは、純化されても血の気の多
い情愛の心から、生きる悦びへと通じている。
文学ってやっぱりすげえなあ、と思う。昭和三十年代の鎌倉から、二十一世紀のボゴタへ向かっていき、そし
て翻訳されて今の日本にバウンドしてくるんだから。

11月24日(金)
西加奈子『通天閣』(筑摩書房)。見事な大人の小説だった。
一つの出来事に向かっていく、二つのストーリーが描かれる。どちらのストーリーも、まったくどうしようもない人間
の物語だ。一人は工場で働く、人間嫌いの中年男。もう一人は男に捨てられて水商売を始める女。どっちも
救いようがない。なぜ救いようがないかというと、自分らが救われようと思っていないからだ。救われようがない、
と思っている。ちょっと僕のサラリーマン時代の気分に似ている。
僕は実に見上げた立派な人間だから、そんな閉塞状況を自力で打破して書店経営から小説家にまでなった
が、そんなことがひょいひょいできるものなら世界は太平楽だ。いじめも戦争もない世界になるだろう。それがそう
はいかないということを、この小説はギリギリギリギリと歯軋りの音をさせながら書いている。
救われない、救われようと思ってない、でも、何とかしたい。そんな人間に、通天閣はとびっきりの事件を起こし
てくれるのだ。それは唐突で、滑稽で、しかも大局的にはどうってことない事件である。しかし、あるいは、だから
こそ、その場に居合わせた男と女は、その事件から、ちょっとだけ、本当にちょびっとだけ、生きることに向かって
いく。
西さんはばんばん小説がうまくなっているな、と思った。俺もがんばんないと。

11月23日(木)
淡々と仕事をし、妻も仕事の追い込み。『聞書四谷怪談』を書いたり、ガルシア=マルケスをぱらぱらめくった
りしながら、徹夜の妻を気遣いつつも寝る。本日誕生日。これより四十三歳。

11月19日(月)
下北沢などという町でゲリラ的に本屋をやっている人間として、僕は「なぜ人は本を読まなければならないか」
という質問に対する答えを、たくさん用意しておかなければならなかった。鋲だらけのジャンパーを着てたり、受
験勉強以外何もしないで大学に入っちゃったり、リストカットに忙しかったりする下北沢の善男善女たちには、
そこから啓蒙していく必要があったのだ(「啓蒙」という言葉を、僕はずっと嫌いだったが、最近好きになった。理
由はそのうち書くだろう)。
自分で考えて一番いい答えだと思うのは、「本を読むと人生が増えるから」というものだ。人は読んだ本の数だ
け人生を増やすことができる。読まない人間の人生はひとつしかない。
アーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』(白水社)を半分くらい読んで、本を読んでおいたほうがいい
理由が、もうひとつできた。
これはイランの大学で英米文学を教えていた著者が、イスラム革命によって原理主義者たちに支配された大
学を追われ、自宅に信頼できる女性の学生を集めて、英米文学の偉大な近現代の小説を読む教室を開い
たことの記録である。教室=自宅を一歩出ればそこには、頑なな女性蔑視的倫理観の強要と、排他的反米
主義とが支配する社会が広がっている。書店からは英米文学が姿を消し、書店そのものが姿を消す。ナフィー
シーの父親はテヘラン市長だったが革命後に逮捕・投獄され、そのとき彼を裁いた男はその後の政変で逮捕・
投獄される。
そんな中で文学を読む、というのは、どういうことだろう。よく、文学なんてのは遊興で、生活必需品とは程遠い、
というような言い方を耳にする。そんなことをもしこの本の中にあるような環境下でいったら、それはよほどの人で
なしということになるだろう。全体主義的社会の中で文学は生きるために絶対必要であるということが、この本で
は力強く訴えられている。
ひるがえってわが国はどうであるかというと、これは原則的には民主主義国家であって、別に女性はヴェールをか
ぶっていなくても投獄されないし、現政権に賛成でないからといって罰せられたりしない。英米文学も読み放題
だが、じゃ全体主義的でないかといえば、それはそうでないのである。日本では全体主義が法的拘束力を持た
ない、というだけで、地域やコミュニティ、会社や教室の中には、暗黙の全体主義的環境が厳然として存在す
る。文明社会で全体主義的なものを完全に払拭することは、もしかしたら不可能なのかもしれない。
だからこの本は教訓であり、寓話なのだ。僕は銃撃戦も肉親の逮捕も見たことはないが、それでもこの社会に
自由な精神に対する抑圧があるのは知っている。

「すべての優れた小説の中には、人生のはかなさに対する生の肯定が、本質的な抵抗がある。(中略)あらゆ
る優れた芸術作品は祝福であり、人生における裏切り、恐怖、不義に対する抵抗の行為である。」

だから人は小説を読まなければいけない。

11月17日(土)
ひたすら執筆。というより僕は八月の後半からこっち、完全ノンストップで書き続けている。この勢いは来年の
三月まで続く。今年中にふたつの小説にエンドマークをつけるつもりだし、現在の連載小説も三月までには
すべて書き上げます。はっきりいって来年は、僕の本がばかすか出る年になるので(最低五冊)、このてんて
こまいを止めるわけにはいかないのだ。そして来年以降、徐々に仕事のペースをゆっくりにします。

11月16日(金)
昨日の続き。
『グレート・ギャツビー』について村上春樹はあとがきの中で、その熱烈な思い入れについて語っている。
「このどちらかというとこぢんまりしたサイズの長編小説は、小説家としての僕にとってのひとつの目標となり、
定点となり、小説世界における座標のひとつの軸となった。」と書いている。そのすぐ後には、「ちょっと待って
下さい。『グレート・ギャツビー』がすごい作品じゃなくて、ほかの何がいったい「すごい作品」なんですか……」
とまで書いている。
『ギャツビー』に人類の文学的達成としての到達点を見出すがごときこの熱中に向かって、いやアナタ、『百
年の孤独』はどうなんですか、『失われた時を求めて』は、『心』は、などといったところで始まらない。小説家
になるほど小説に思い入れる人間なら、誰しも自分なりの「定点」を持っている。それは必ずしも共有される
べきものではなく、村上氏自身もその気持ちを、みんなに判って貰おうなんて思っていないだろう。あとがきに
は、この翻訳は「きわめて個人的なレベルでなされたものなのだ」と書いてある。
今回村上訳で読み直した印象は、以前読んだときと大差ないように思われる。出だしの文章が素晴らしい
と村上氏はいうけれど、僕にはデコラティブに過ぎるように思われた。ひとつひとつの文章だけでなく、小説その
ものに装飾過多なところがあって、正直な話、第三章までは半分か、それ以下くらいに縮められるんじゃない
かという気がする。
もちろん、第四章以下は素晴らしい。人物造形というものは、一人称形式の小説の場合、当の語り手につ
いては難しく、たいがいは語ってる奴が一番退屈、なんてことになりかねないものだが、この小説の「僕」の描
かれ方は見事である。脇役もいちいち見事である。またこの小説では、しょっちゅうパーティが開かれているけれ
ど、小説の中でパーティを描くくらい難しいことはない。それがここでは、ほぼ完璧に書かれている。ドラマの立
ち上がり方にも迫力があり、とりわけさまざまなことが爆発的に起こる第七章は、小説の面白さをすべて備え
ているといってもいいくらいだ。
「これまでの人生で巡り会った最も重要な本」と、村上氏のようにいうことはできないが、それは決してこの小
説を貶めることにならないだろう。

11月15日(水)
村上春樹訳、スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』(中央公論新社)の原題は、「The great
Gatsby」である。
それで思い出したんだけど、同じ村上春樹訳のサリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(白水社)の原題
は、「The catcher in the rye」だ。
村上氏は来年、チャンドラーの「The long goodbye」を翻訳するそうだが、これの邦題が『ロング・グッドバイ』
になるであろうことを、僕は確信している。
これまで、これら三作の邦題はそれぞれ、『華麗なるギャツビー』『ライ麦畑でつかまえて』『長いお別れ』とし
て親しまれてきた。いずれも個人の翻訳によるタイトルであって、たとえば『嵐が丘』のような、誰が訳しても
日本語のタイトルはこれ、というタイトルとはいえない。だから新訳には新訳の書名があっていい。いいんだ
けど。
なんで全部、英語をカタカナに直して、theを取ったタイトルなの?
原題からtheを取って、あと全部カタカナに直すだけ、という邦題のつけ方は、小説でも映画でもおなじみの
もので、別に村上氏の発明でないことは知っている。
一体僕は、何に引っかかっているのか。『グレート・ギャツビー』という言葉は、これは何語なの? というところ
に引っかかっているんだと思う。もちろんそれは日本語だ。英語の発音に最も近いものを選んで組み合わせ
て出来上がった日本語である。それは日本語の成立そのものといってもいい。日本語は中国語や朝鮮語
やオランダ語や英語などから言葉をどんどん仕入れて、それを「日本風」に仕立て直して出来上がっている。
だから「The great Gatsby」が『グレート・ギャツビー』になるのは、日本語の伝統にのっとっているといっていい
のだ。
だいいち、「グレート・ギャツビー」とカタカナで書かれてあって、それがフィッツジェラルドの小説のことだと理解で
きるのは、日本語を読める人間だけである。
言葉にとどまらない。日本人は何百年も、あるいは千年以上も前から、外国から来たものは地元にあるも
のよりカッコイイとみなす傾向があった。社会組織の外枠づくりからファッション、ヘアスタイルに至るまで、身の
回りにあるものは古くてださく、外国にあるものは斬新で美しい。それが日本。それが日本語。
だから、いいんだ、『グレート・ギャツビー』で。フィッツジェラルドの小説はアメリカの、英語で書かれた小説であ
る。それを日本語で読んでいるだけの話なのである。翻訳されたからといって、それが日本の小説になるわけ
ではないんだから。
たしか沼野充義氏だったと思うが、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』という題について、ロシアの小説じゃありえな
い、といっていたけれど、確かに『罪と罰』をロシア語でなんていうか、僕は知らないし誰も知らない。ロシア語
だけじゃなく、『百年の孤独』だって『悲しみよこんにちは』だって、原題をカタカナにして(定冠詞があれば除去
して)邦題にすることはできまい。売れまい。
いいんだ。それが日本語というものなんだから。
ああー、俺って頭が固いんだろうな。かたくななんだろうな。
ちなみにこの問題に関する、妻の回答のひとつ。「だって日本はアメリカに戦争で負けたからね」。
そう。それだよ。

11月6日(月)
本日より『洗面器の音楽』第五回を書き始める。身体はきついが、書き始めれば面白くなってしまう。
だけど日記までこまごまと書く気力はなし。

11月5日(日)
週末から「フィクショネス」の外階段を含むビルの手すりを全面的に塗装している。階段に足場が組
まれて網が張られ、ちょっと見たら営業しているかどうかも判らなくなってしまった。看板なんかも取り
外したし。
水曜日から塗り始めて、乾くのに二日三日かかるらしい。そんならいっそのこと休んじまおうかと思って
いる。とりあえず木曜日は休みます。

11月4日(土)
下北沢は今、再開発問題が住民訴訟にまで発展する一方で、強行採決があったり、区長が住
民と会わなかったり、はたで見てても面白くない事態におちいっている。すべての街とおなじく、下北
沢も不変ではありえない。でもね、やりかたってもんがあるでしょう? と、常識的に考えて思う。
一方で、どうも下北沢は、活気を取り戻しつつあるように思えてならない。先日は「トミマツ」が三年
ぶりに姿を現した。「トミマツ」というのは僕の『下北沢』という小説での名前で、芸術家でもあり酔っ
払いでもあり風来坊でもある、にこやかで危険な香りを漂わせている男だ。詳しいことは書かないけ
れど、僕にとって彼は下北沢の活気、面白いけど巻き込まれすぎるとちょっとしんどい、だけどなんか
切ない、そんな活気の象徴的な存在なんである。おかえりトミマツ。
そして今日、帰ろうと思って南口の階段を上っていたら、降りてきた男の様子に眼が釘付けになった。
そいつは黒い帽子をかぶり、服も黒で決め、左手に煙草、右手にビールの中ジョッキを持って、飲み
ながら降りてきたのだ。
うわーと思った。かつて下北沢は、こんなんばっかだったのである。そういうのがまた戻ってきたんじゃな
いだろうか。ウキウキする。と同時に、やっぱり、ちょっとしんどい予感もする。

10月31日(火)
『誰にも見えない』262枚にて脱稿。精も根も尽き果てる。
27日の金曜日に、半日だけ取材旅行に行って、そこで得た想を月曜日には書き上げたが、その
場面は枚数にして50枚あった。こんなハイスピードは生まれて初めての経験。
やっぱり手書きっていいのかもしれない。集中して書ける。ワープロだと、どうしてもゲームとかネットを
やってしまう。目の前に紙しかないとそんなことできないし、自分で書いたものが物理的に増えていく
のも楽しい。
こんなにド直球を投げたのも初めてなので、小学館の石川さんに渡すのが、非常に照れくさかった。
ちなみにこの日は、「あとん」の連載も送りました。ので、折を見て僕は二、三日行方をくらまします。
「小説すばる」にはご迷惑をおかけしませんので、ご心配なく。っていうか今、なんかノッてるから、体
力が回復すればどんなものでもばんばん書けそうな気がしてるんだよね、俺。

10月28日(土)
クラフト・アツコさんの来訪を受ける。
クラフトさんはぼくがアメリカにいた頃、もっともお世話になった人である。サンフランシスコ講和条約より
前に渡米して、今も住んでいる。十年ぶりなのに全然お変わりなし。
彼女はちゃきちゃきの江戸っ子であるから、湿っぽい再会の愁嘆場なんぞは好かない。今日も娘さん
とやってきて小一時間喋ってたくさん買い物をしてくれて下北沢のおいしいパスタの店を聞いて風のよ
うに帰っていった。かっこよかったなあ。

10月26日(木)
小島信夫氏逝去。享年91歳。
保坂和志『小説の誕生』のあとがきで、6月に脳梗塞で倒れ、事実上の危篤であることが書かれて
いたので、心の準備はできていた。それに何しろ91歳だから、寿命なのかもしれないが、でもそれに
してもこの作家の場合、「大往生」という印象がぜんぜんないのは、どういうことだろう。
小説を読む限り、小島信夫という人は、家族というものに、徹底的にこだわり、なおかつ、家族に死
ぬまで苦しめられていた人だったようである。妻の情事と闘病と死。息子のアルコール中毒。再婚。後
妻の老化。その苦しみを氏は、凄まじい筆力で描き続けた。
しかも彼は、実験的な作家でもあった。結果として、最後の『残光』は、何が書いてあるのかさっぱり判
らない、しかし恐ろしく生々しい作品になった。小説も、あそこまでつきつめると、恐ろしい。
まだまだ、誰にも理解されきっていない作家だと思う。大往生とは程遠い、戦った果ての死であったの
ではないか。
(ところでこの日記、自分でもびっくりするくらい凡庸。なぜ?)

10月25日(水)
恵比寿ガーデンシネマにて映画『カポーティ』。連日超満員と聞いていたのにふた開けてみたら半分
くらいの入り。ま、そんなもんか。
見終わってすぐには自覚しなかったが、実は冷静じゃなかったようだ。喫茶店に入って、僕は妻に向
かって映画の中のカポーティを断罪したくてしょうがなかった。
小説は人間を描き、小説家の世界は必ずしも広大な人間関係のみやこ、というわけではないから
(むしろ引きこもりの傾向があるだろう)、モデルの問題というのは常に起こりうる。「いい本が書けそう」
という、これ以上ないくらい曖昧な名目のもとに、小説家はどれくらいまで他人を描いてもいいものか。
そして、そもそも、他人を描くとはどういうことなのか。
この映画はいろんな意味で、そういう小説家の心の中を、いやーな空気でもって描ききった作品だと
思う。事実を基にはしているが、寓話のように感じた。
カポーティは、殺人事件についての「ノンフィクション・ノベル」を書きたいと考える。調査を始める。どん
どんどんどん調査する。犯人が捕まる。犯人のことも調査する。犯人と親しくなる。犯人たちは死刑を
望んでいない。しかし死刑にならなければ、小説は書きあがらない。死刑は何年も延期される。そして
死刑になる。
もちろん、僕はカポーティとは似ても似つかないけれど、それじゃなんであんなに取り乱したのだろう。なん
でこんなに、シンパシーを感じてしまうのか。
それからこの映画は、演出面でのストイシズムが素晴らしい。映画の基本である「省略」が、実に効果
的に使われている。そして徹底的に地味である。ベネット・ミラー監督はこれが長編第一作だそうだが、
これからも見ていきたい。

10月14日(土)
昨日の続き。
川端の世界は狂気の世界だ。小説においては、そこにあるのはそれこそ、「美しさと哀しみと」このふ
たつがあるばかりだ。そしてたいていの場合、結末においては狂気が勝利する。暗くてきびしい、変態
性欲の世界だ。
そういう世界に惑溺し、あこがれながらも、僕はナボコフの、あの有名な言葉を思い出さずにはいられ
ない。

「私にとって、文学作品は、直截に美的悦楽とでも呼ぶべきものをあたえるかぎりにおいてのみ存在す
る。その悦楽とは、芸術(つまり好奇心、やさしさ、思いやり、恍惚)が規範となるような精神状態と、
何らかのかたちで、どこかで結びついた存在感だ。」(「『ロリータ』について」大久保康雄訳)

川端の世界とここに書いてあることは、九割九分以上重なるといっていいと思う。だからこそ僕も川端
に魅了されるのだろう。だけど、やっぱり結局はこっち(ナボコフ)に傾いてしまうのは、ほんの微かな、だ
が重大な違いによってだと思う。それはもちろん、カッコの中にある、芸術の定義だ。
(Curiosity, tenderness, kindness, ecstasy)と、並べられた四つの言葉は、僕にとって、なんというか、
手で触れて撫でてみたいような言葉たちだ。
そう、まったく、そう! 川端は愛ということばを、意外とよく使うけれど、この四つが互いに結ばれること
で立ち現れるエモーションは、愛を含み、さらにその上にいっている気がしてならない。

10月13日(金)
目録にはあるのにどこ探しても見つからなかった川端康成『美しさと哀しみと』(中公文庫)を東京
丸善本店にて発見。さっそく読み始めたが川端康成って本当の狂人だ。
北鎌倉に住む作家(川端は笹目に住んでいた)。その出世作にして人気作「十六七の少女」(川
端のヒット作といえば「伊豆の踊り子」)。その妻と息子。小説のモデルとなったかつての少女にして京
都在住の女画家。その弟子にして愛人の乙女。
美しい舞台設定に、水のごとき執念と愛情、そして嫉妬。いろいろ作者本人を思わせる部分はあっ
ても、これはおそらく、殆どがフィクションだろう。ということはこういうことを、これほどまでに空想していた
わけだ。気持ちが悪い。そしてそのような気持ち悪い空想力に、あこがれる。
あこがれたってこればっかりはどうしようもないが、こういう世界を織り上げてみたいという気持ちは強く
なった。設定を川端風にして、中身は藤谷、ってなったら、そこにはどんな模様が浮かび上がってくる
のだろう。……と、たまにはキザな表現も。

10月12日(木)
小学館の石川さん来訪。執筆途中の少女小説106枚渡す。
それから喫茶店で雑談。小説のタイトルが決まらない、という話から、自然といろんなタイトルを思い
浮かべた。
しばらくすると石川さんが、
「だれにもみえない、っていうのはどうですか」
「えっ!」
僕はそれを聞いて心底驚いた。だって石川さんにたった今渡した原稿の最後の行には、私が見えま
すか、と書いたからだ。それはおおむね、この小説の中間地点に当たる。
こういうシンクロニシティには、逆らわないほうがいい。よって今次書き下ろし小説のタイトルは、石川和
男氏命名により、
『誰にも見えない』
に決定。
漢字にしよう、くらいのことは、僕もいわなきゃ気がすまなかった。

10月9日(月)
ごりごり書いている少女小説、ようよう百枚。苦労したわりには、たいしたことも書いてない気がする。
原稿用紙から目を上げると、北朝鮮の核実験で、世界中が大騒ぎになっている。
このあいだ外国から帰ってきたという人がお店に来て、「日本は情報が多すぎる」といっていた。外国
にいると、外国語でよく判らないせいもあって、無駄な情報をとりこまずに過ごせる、と。
テレビでは、アメリカ軍が北朝鮮を攻撃するかもしれない、なんていってる。これは9・11とか湾岸戦
争なみの、あるいはもっと重大な出来事なんだろうか。それとも多すぎる情報の一つに過ぎないんだ
ろうか。
小説のことで脳みそを使い切っているので、まだ判らないが、とりあえず、「ここまで来たら日本も戦争
をするか、戦争に加担するか、してもしょうがないんじゃないか、いいんじゃないか」みたいな風潮に、
世の中やマスコミがならないようにしないといけない、と、凡庸なことだけいっておく。

10月5日(木)
妻と父と三人で、靖国神社で永代神楽祭。去年も「ずいぶん来る人が減ったなあ」と思ったが、
今年はさらに少なくなっていた。第何部航空隊とかの人たちがいなければ、もっと少なくなっていた
わけだ。そのうち僕だけになってしまうかもしれない。
そのあと遊就館に行った。全員初めて。戦争に関する説明文が多すぎて読みきれない。妻と父
親はひとつひとつ見ていたが、僕はざっと見て通り過ぎた。
歴史を歪曲しているとか、英文と日本語文で説明が違うとかいう話を聞くが、そんなことを検証す
る能力も気力もなかった。ただひたすら、戦争なんてしようとするのは馬鹿げているという印象だけ
が残った。軍服が展示されている。その腕の部分にちぎれたような穴が開いている。あるいは血判
状、あるいは遺書。英雄とか軍神とか、思い浮かびもしなかった。
そのあと恒例のカレーライス。うまいかどうかはともかくとして、恒例なのだ。いつもは「海軍カレー」だ
けど、今日は三人揃って「横浜カレー」。
話が弾んだ。戦争で死んだ霊を慰めるには、ほがらかに楽しくしているのが一番だと思う。

10月2日(月)
アートンに『ぼくらのひみつ』を送る。しんどい仕事だった。でもこれでしばらくは『四谷怪談』と少女
小説に専念できる。
今、ぼくは仕事を抱えすぎているといえるだろう。連載が四つに、書き下ろし、それに初稿だけ上げ
てこれから直さなければいけない原稿が二つ、そして書いている最中の書下ろしがひとつ。全部足
すと、手元に未完成の小説が七つもあることになる。おや、おや。
もちろんこれらをいっぺんに何とかしようとしているわけじゃないし、優先順位もあるわけだけど、それ
にしても、ねえ。あんまりいいことだとは思わない。だけど悪いことだとも思わないんである。今の僕は
そういう時代なのだ。

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