8月26日(木)
政治の話なんかしたら、するほうも馬鹿になる。そんなことは判っているんだが、もう頭にきた。小沢一郎が民主党の代表戦
出馬を表明、鳩山由紀夫がこれを支持したそうである。
先週、彼らは軽井沢にある鳩山の別荘で「研修会」を開いた。世田谷の自宅の金庫に四億円持っている男と、母親から
月々千五百万貰っていた男が、軽井沢の大豪邸で山のような民主党員とマスコミに囲まれた中で握手していた。鳩山由
紀夫は白いスーツに白いスラックスに白い模様の入ったシャツという、寄席の手品師みたいな格好でにこにこしていた。
馬鹿野郎!
こないだの衆議院選挙のときに僕は民主党に入れた。「まず政権交代」とかいうキャッチフレーズはおかしいと思ったし、マニ
フェストだって大丈夫なんだろうなオイと思ったけれど、政権交代は悪くないと考えて入れた。政権交代すれば、いつまた
自民党に盛り返されるか判らない、だから民主党はきっとふんぞり返ったりしないで、しゃかりきになって働くだろうと思ったのだ。
鳩山政権の支持率が落ちていっても、僕は長い目で見てあげなきゃいけないと思って耐えた。とにかく総理大臣は替わり
すぎる。
ところがどうだろう。民主党は政権とって、今やふんぞり返っている。失業率は五パーセントが当たり前になって、非正規
雇用者たちはどんどん切り捨てられて、一ドルは83円、平均株価は九千円を割り込んでいるというのに、寄席の手品師
の格好で、軽井沢で冷たい紅茶か何か飲んでいる。
ああ、馬鹿にされたな、と、その映像を見て僕は思った。サマセット・モームの短編「雨」で娼婦が叫ぶ最後の台詞じゃないが、
「ふん、政治家なんてみんな豚だよ、豚!」と叫びたくなった。景気対策も、雇用対策も、貧困対策も、沖縄の基地問題も、
外交全般も、北朝鮮の拉致被害者についても、彼らは何ひとつ満足な成果を挙げていないし、挙げるつもりもない。それが
本当によく判る映像だった。僕の一票は無意味であるよりなお悪く、日本に害悪を広げてしまったのと同じだ。
そしてこの絶望は僕一人の感想なんかではない。僕は世間一般の人間とまったく同じ感想しか持っていない。政治不信とか
無党派層とかいうけれど、戦後これほど深刻な政治不信を、日本は経験していないと思う。だって五十五年体制の頃には、
いつまで経っても自民党が政権をとっているということが政治への絶望につながっていた。今じゃどうだ。自民党であろうがなか
ろうが、政権をとれば全部同じということが、物的証拠をもって証明されてしまったんである。それがあの軽井沢の握手の、
映像的な意味である。そうじゃないというのなら、誰かもっと未来に期待を持てるような反論をしてくれ。
8月23日(月)
小説のことで、えんえんと悩み中。苦しい。
そこへ「新潮」のKさんから電話がかかってきた。今「新潮」のために書いている中編小説について話しているうちに、僕は
こんなことを考えた。
僕の小説のうちで比較的評価をいただけた作品は、どれも僕自身のためだけに書いたものである。『船に乗れ!』がそう
だし、「新潮」にこれまで載せてもらえた短編二作もそう。最初の「日本私昔話より じいさんと神託」は、誰も知らない
だろうが、今年の川端康成賞の最終候補になった(で、落ちた)し、第二作「ふける」は「群像」の創作合評で取り上げて
もらった。その「ふける」は、Kさんをあんまり待たせてはいけない、またKさんに仕事をしてなかったわけじゃないと、編集者に
見せるためだけに渡した原稿だった。ボツにしてもらうために読んでもらったのだ。
「ボツになってもいい」ではない。「ボツにしてもらう」だ。こんな頭も尻尾もない、ギャグも奇想もない、といってスキャンダラス
な私生活が書かれているわけでもない、正体不明の小説なんか、誰も面白がってなんかくれないだろう。ところが案に相違
して「ふける」は、ごくわずかの書き直しを経てあっさりと掲載されたのだった。
一方で、徹頭徹尾エンタテイメント、ひたすら読者を楽しませようとして書いた小説は、実にしばしば評判にもならず、ベスト
セラーになったという話も聞かない。
つまりこういうことだ。少なくとも僕という小説家は、人のご機嫌を伺ったりせず、ひたすら自分にとって大切と思えることだけ
を綴っていかなければならない。気がつくのが、ちょっと遅すぎたかもしれんが、これからは書くときの態度を改めなければなら
ない。
自分のためだけに書くというのはしかし、誰にとっても無価値なものでいいという意味ではない。面白くなくてもいいという意味
でもない。なぜなら僕という「自分」は、特別な存在ではないからだ。僕と同じような気持ちを抱えている人はいくらもいる。
また、僕の「自分」が他人の「自分」を触発することだってある。そういうものを書くことに、これからは集中しようと思う。もちろん、
だからといって面白おかしいものを書かなくなるわけじゃないだろうけれど。
8月11日(水)
今日僕は妻とテレビで『サンシャイン・クリーニング』という映画を観た。どうってことのない、どちらかというとしょぼい人生を送って
いる姉妹が、殺人や自殺の事件が起こった部屋を、捜査の後に掃除するという仕事を始める話だ。ブラック・ユーモアの映画
ではない。派手な演出はどこにもない。同じスタッフで作ったという『リトル・ミス・サンシャイン』に比べると、映画的完成度もあまり
高くないかもしれない。それでもこれは僕にとって、胸を締めつけられるような、忘れられない映画になった。
小さい映画を作っている人たちがいる。スパイダーマンとかシュレックとかには、縁も興味もなさそうな人たち。そういう人たちの
映画は忘れられてしまうのだろうか。膨大な映画の洪水の中に飲み込まれて、人々の記憶から失われてしまうのだろうか。
とんでもない。逆である。僕はスパイダーマンの映画を一本観ているが、それが1か2か3だったか、もう忘れてしまった。けれども
『サンシャイン・クリーニング』は忘れがたい。『すべてをあなたに』や『新学期・素行ゼロ』、森崎東の『ロケーション』やティム・
ロビンス監督の『クレイドル・ウィル・ロック』を忘れられないように。
これらはいずれも、興行成績はさして良くなかった映画ばかりである。また作品としての完成度も完璧とはいえない。そもそも
これらは、大儲けを当て込んで作られたものではなく、限られた制作費と少ない上映館数によって、あらかじめ制約を受け
ながら、製作者たちの真心とド根性によって実現した映画ばかりだ。そういう作品が僕のような怠け者の目に触れることは
あまりない。だけども必ずそこには、その作品を愛する者が現れる。逆に、興行成績が良く、完成度の高い映画、『ローマの
休日』とか『風と共に去りぬ』、『サウンド・オブ・ミュージック』や『七人の侍』、世の中がそんな映画ばっかりだったとしたら、どう
だろう。想像しただけで息が詰まるのである。
僕の書くものも小さな評判しか生まないものばかりだけれど、それでいい。作品の大きい小さいにかかわらず、読んでくれた人
に忘れられない作品を書かなければいけない。『サンシャイン・クリーニング』を観て、そんな関係のないことも思った。そして
それは、「小さくまとまる」なんてことじゃ、全然ない。
8月5日(木)
井上ひさし『一週間』(新潮社)読了。
堪能した。終戦後もなお抑留され続けたシベリアの日本人捕虜を主人公にした、著者最後の長編小説で、連載は完結して
いたが、単行本にするに当たっての加筆訂正は、井上氏の死去によって果たされなかった。だから読んでいると、著者はここで
筆を加えたかっただろうなと思わせるところがいくつかある。井上氏に充分な時間が残されてあれば、この小説は恐らくこの倍
近くの分量になったのではないかとさえ推し量れる。『一週間』という作品は、結末まで書かれてはいるが未完成である。しかし
それでも、この小説の面白いこと、訴える力の充溢していること、一読に値する見事な作品であることは確実である。シベリア
抑留という、悲劇としかいいようのない歴史的事実を題材にして、決して軽薄でなく、それでいてアクションに満ちたエンタテイ
メント小説に仕立て上げることに成功した井上ひさし氏は、やはり稀有な喜劇精神の持ち主だった。いわゆる「文壇」でこれが
どのような評価を受けるか、興味深い。
8月2日(月)
あのー、世の中は一体、どういうことになってしまっているのだろうか。
新聞やテレビに、目を覆わしむる陰惨な事件が載るというのは、いつの世も変わらないことだとは思う。だから陰惨な事件が
あちこちで起こったからといって、今さら驚いてはいけないのかもしれないが、それでもこれは、新聞やテレビを見ている側の限界
だ! 子供を生きたまま捨てたり、いびり殺したり、死んだ親を何十年も放置したり、どこにいるか知らないと平然といえたり、
まったく耐え難い! ナイーブなんですねと馬鹿にされても結構だ!
何気なく本棚から出して読んだ、吉本隆明氏のインタビュー(「現代思想」2008年8月臨時増刊号)で、吉本氏がこう
いっていた。
「今度の秋葉原の事件があって、たくさんのことを言っているんだけれど、一番肝心な、精神疾患と正常な人間の区別が
不明瞭になったということをだれも言ってくれない。もう一つは精神疾患自体が浅くなっている。ビンスワンガーが言うような、
地獄と天国みたいに違うとかそういう意味合いで精神病を論じても駄目なのですよ。もう軽いのですよ。底が浅くなっている。
しかも正常と思われている人が何かの拍子にとてつもないことをやるのです。それでとてつもないことをやったときが正常なの
か、それをやった瞬間だけが異常なのか、それは表と裏みたいなもので、そういう状態になっているということを専門家は言わ
なくちゃいけないんですよ。テレビを見ていると、今でも論じてますけど、そういう根本的なことをだれも言わないんですよ。」
「産業革命期に産業の規模が大きくなったのは蒸気機関のおかげだと、一般の経済学者たちは考えていたのだけれども、
マルクスとエンゲルスはそうは言わなかった。彼らはあまりにも時間外に働かされるものだから、ロンドンでは肺結核が蔓延して
きたことを指摘し、産業が拡大することが豊かな社会を実現させるとは言わなかった。彼らを真似て言うならば、今、肺結核
の代わりに蔓延しているものは精神病です。第二次産業革命と言いたいならばそう言っていい規模になりつつある。何が人間
の生活にとって障害になっているかと言えば、僕ならば精神病、精神異常、あるいは神経障害だと位置づけます。こうしたこと
に関しては、本当は専門家がちゃんと説明して、予防策を講じるべき時になっているのにもかかわらず、誰もが遠慮をしている
と思っています。」
二年後の今、吉本氏の言葉は恐ろしいほど正鵠を射ていると思えてならない。
7月24日(土)
今日、あるデザイナーがふらりと「フィクショネス」に寄ってくれて、よもやま話をしたのだが、その中にこんな話があった。
夜中に仕事場で、恐怖実話の本を作っていると、建物全体がガタガターッと揺れだした。地震だと思って外へ飛び出し
たがなんともない。行きつけの呑み屋に行って問い質すと、いや、揺れませんでしたよ、といわれた。後日、さる霊能力の
ある人に、その本の仕事は午前二時以降はしないでください、と注意されたが、仕事だからそういうわけにもいかない。
以後、深更にその本の割り付けなどしていると、部屋のどこかから、パキ!と音がしていたそうである。
昨日、村崎百郎氏が殺害された。報道によれば通院歴のある男性に、自宅で二十数か所を刺されて、ほぼ即死と
のことだ。
村崎百郎氏といっても、今では知らない人も多いようである。九十年代に「鬼畜系」などと称して、人の出したゴミの
中身を書いたり、他人を奴隷扱いしたりするルポルタージュを書いていたライターである。犯行者はみずから警察に
通報し、村崎氏の著作にだまされた、というようなことをいっているらしい。
言霊というけれど、実際、言葉というのは、語られればそれにふさわしい何者かを呼ぶのである。僕はそれを疑ったこと
はない。
オカルトめいているといわれるかもしれないが、小説というのは本来的にオカルト的なものだ。そこには文字しか書かれて
はいない。そして文字とは、「東に山がある」とか、「予算は成立した」といった、情報を伝達するだけのものであるはず
である。それなのに人は小説を読んで心を動かされる。腹を立てたり笑ったり、涙を流したりする。また、話はおおむね
同じなのに、一方では感動し、他方ではなんとも感じないということも起こる。僕はこれは、日常的に見られるオカルト
だと思う。
僕は村崎氏の書いたものを好きではなかった。僕を不愉快にさせるものばかり書いていた。だからといって村崎氏が危害
を加えられていいはずがない。実際の氏は真面目で礼儀正しい人だったという報道もあった。書いたものが最も忌まわし
いものを呼んでしまった。我が身には何の関係もないが、それでも僕は恐ろしい。
7月23日(金)
イエーイ! 藤谷の新刊がまたまた出たぞーい!
『ヌれ手にアワ』(祥伝社)は、僕がこれまで書いたものの中でも、もっともバカバカしく、もっとも純粋なドタバタ喜劇だ。
登場人物は全員、欲に駆られて走りまくる。東京中が大渋滞、牛も暴走する。
宝を探す、というだけのアイディアで、よくぞここまで書ききったと、今は自分を褒めてあげたい気持ちです。『船に乗れ!』
の感動をもう一度、と思っても、そーゆーことはこの小説ではありません。申し訳ござーません。
7月21日(水)
昼は渋谷にて映画『アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち』。
ジジイ、ババアにはなってみるものだ、と、強い感動で思わせるドキュメンタリーだった。1940年代から50年代にかけて
活躍した、タンゴの名演奏家たちが一堂に会して行なったレコーディングとコンサートの記録である。誰も彼も七十八十
のジジババであるのに、全員が溢れかえるほどの色気と情熱を持っている。加えて彼らは、語りつくせぬ思い出をも併せ
持っているので、映画はどうしても食い足りないものになってしまう。四時間くらい観たかった。とりわけコンサートのシーンは、
もったいないったらありゃしない。演奏の腕というのは、ああまで落ちないものなのか。鳥肌の立つ瞬間が至る所にあった。
もちろんCD買いました。聴きながらこれを書いています。
夜は今次直木賞を受賞した中島京子『小さいおうち』読了。
戦前から戦中にかけて東京の一家庭に勤めた女中が、年老いてから書いた追想記。これは読んで損のまったくない傑作
であるから、先に瑕瑾をひとつだけ挙げておくが、作者はこれを書くにあたって戦前戦中の世相を、少し調べすぎだと思う。
これは欠点というより誤解を生じやすいところで、調べて書いた小説というのは、魂が感じられないことがしばしばあるのだ。
そのためにこの小説も読んでいて、このお婆さんやけにいろんなことに詳しいなあ、と思ってしまう。
しかしこの小説ではその調べたことが決して浮き上がっておらず、女中の目で見た世相のありように徹しているし、これを読ん
で魂が感じられない人はいないだろう。『小さいおうち』の最大の美点は、これがひたすら心をこめて書かれた作品だという
ところにある。
次の美点は文章。この小説にあるこういう文章こそ、僕のいう「いい文章」というものだ。デコラティブなところはまったくない。
文章の良さを誇らしげにしているところも、いわゆる名文、名言のたぐいもない。いい文章というのはそういうもので、僕なん
か読みながら、自分の文章を思い出して恥ずかしかった。
第三の美点は結構にある。この小説では最終章にちょいとした仕掛けがあるのだが、その仕掛けがいい。別に驚天動地
とか空前絶後の仕掛けではなく、淡いものではあるけれど、その淡い仕掛けに味がある。これは小説も人生も知る人の
書いた小説である。直木賞は本当にふさわしい。一面識もないけれど、遠くからおめでとうございます。
7月19日(月)
これは大陸ホラ話ではない。今夜のTBSのニュースで報じていた本当の話だ。
今の中国は空前の好景気である。小金持ちがわんさか増えている。彼らが不動産を買いまくっている。そのために中国
各地に、にわか高級住宅街ができまくっている。街を作ってしまうのである。高層マンションが林立し、窓ガラスはピッカ
ピカ。そういうところのマンションや家は、発売するとたちまち売れてしまう。
ところがその街に行っても誰もいない。完全に無人ということはないが実に閑散としている。信号もつかない。綺麗に整備
された道路は人通りもなく、学校などインフラも整備されていない。買った人たちがそこに住まず、人に貸したりもしない
からだ。彼らはそこをそのまま放っておいて、土地や家屋が値上がりするのを待っているのである。
そういう「完売高級ゴーストタウン」が今、中国各地にいくつもあるんだそうである。「空城」という言葉まであるらしい。
なんというか実に白髪三千丈、万里の長城的ではないか。中国というのはバブルも壮大である。こういう話は僕、ほんと
に好きだ。
もちろんバブルは早晩はじけるだろう。困る人も多いに違いない。お金のない僕には無縁の話だが、そのうち凄いなあ
なんて笑っていられなくなるかもしれない。
7月17日(土)
腰痛だいぶ快癒。お昼を小さいお弁当にしたら寝ながら腹を立てるようになった。
今日は映画『私の優しくない先輩』の封切日だなあと思って、公式ホームページを見たら、動画で挿入歌「MajiでKoi
する五秒前」の振り付けが見られるようになっていた。それ見てるだけでちょっと泣きそうになった。泣く映画なんて馬鹿
みたいなもんだがこれは別格だと思う。どんな人にもお勧めできる、楽しくて美しい映画。ジブリに負けるな! 負けたっ
ていいけど!
7月15日(木)
13日の水曜日、小学館の石川さんたち三人で下北沢にて楽しく飲み、けっこう考えたり語ったりして気分よく帰宅
した。だが翌朝になって腰が痛くてたまらなくなる。立ったり歩いたりはできなくないが、いったん横になると起き上がる
のにひと苦労で、脂汗が出るようになった。これはまずいとさっそく今朝医者に行ってレントゲンを撮って薬を出してもらう。
骨にも筋肉にも異常はない。仕事のストレスと疲労もあるだろうが、やはりオーバーウエイト。ついにこの日が来ました。
痩せます。
7月12日(月)
ひと月も日記をサボってしまった。すみません。
ワールドカップもあったし、選挙もあった。そのいちいちに付き合った。けれど何よりかにより仕事がもう、てんてこまいで。
たった今「新潮」の原稿をメールで送ったところ。だけどあれはイカン。「日本私昔話 じいさんと神託」のときみたいに、
何回も書き直さなきゃいけないだろう。今は余力がない。
メールを送った旨、編集部に電話しようと思ったら、誰も出ない。おそらく、つかこうへい氏が亡くなったからだろう。中学
生のとき演劇部だった僕は、聞いたことのない新劇団が、横浜で「熱海殺人事件」とかいう芝居をやる、演劇部はただ
で見れるといわれたけれど、そんな無名の劇団の、そんなふざけたタイトルの芝居なんて、と思って行かなかった。大損
こいたな。その後、紀伊国屋ホールで「蒲田行進曲」とかいろいろ観た。人気の割にはあまり刺激を受けなかった。六
十二歳は若すぎる。
昨日、名古屋場所の初日だった。僕は関取の顔が見たくて、インターネットの中継を三十分ばかり見た。ネット中継
だから、ただ相撲を映しているだけである。アナウンサーもいないし解説もない。インタビューもなければスローVTRもな
い。何より懸賞がない。大関クラスでもせいぜい一枚か、二枚。懸賞ゼロの大関もいた。
ネット中継は画像も音声も粗い。観客の声などざわざわした音でしかない。ところがその中から、高い声だからか、子ど
もの声が聞こえてきた。事情を知っているのかいないのか、出てくる関取に声をかけている。「かいおー!」「ことおーしゅー
!」「がんばれー!」
僕はその声を聞いてたら目頭が熱くなった。これが相撲だ。気は優しくて力持ち。それをなんだ、暴力団とバクチなんか
しやがって。馬鹿者。子供にどう説明するんだ!
6月14日(日)
メイナード・ソロモンの800頁の大作『モーツァルト』(新書館)読了。モーツァルトの伝記として極めて重要な研究書
であり、勉強になることも多かった。でもこれをモーツァルト研究のベストワンとは思えなかった。
この本でソロモンは、いわば憎まれ役を買って出ている。これまでの研究者がさして熱心にやらなかった基礎的な調査
をしているのだ。つまりモーツァルトが生涯に一体どれくらい稼いだのかを、綿密に調べているのである。モーツァルトは
神童で、目隠しをしてピアノを弾くだの、いっぺん聴いただけの曲をすらすら弾いてしまうだのといった曲芸を、ヨーロッパ
中の宮殿や貴族たちの前で披露している。そのいちいちにご褒美や何やで金がくだされる。つまりモーツァルトは子役の
頃から稼いでいたわけで、これがどのくらいのものだったかを調べるのは、研究上きわめて重要である。その金は誰が懐に
入れたか。もちろん父親のレオポルト・モーツァルトが管理していた。というわけでこの本の最初の三分の一ほどは、えん
えんと金勘定が続くといってもいい様相を呈している。
モーツァルト家は子役の稼ぎで潤っていた。これは誰しも予想のつくことである。ソロモンはそういう家庭の大黒柱であるべき
父レオポルトを徹底的に心理分析する。従順だった幼児がどんどん成長してしまうこと。好奇の目で見られることで稼い
でいた子供が神童でなくなってしまうこと。それだけでも充分に腹立たしいことなのに、息子は独立し、結婚までしてし
まう。そして何より、息子は彼と同じ音楽の仕事をして、しかも彼よりはるかに才能があり、どんどん彼の理解を超える
作品を生み出していくのである。ソロモンはレオポルトの手紙を読み込んで、彼をほとんど金の亡者、父権に固執する
半気違いのように扱っている。
三十五で死んだのにキャリアが三十年以上あるようなモーツァルトの生涯が面白おかしいわけがない。それは困苦の
人生である。しかしそれにしてもソロモンの描くモーツァルトの人生は息が詰まる。困苦の人生にも楽しいことはいくらも
あったのである。宮廷での賛美、皇帝や女帝ともざっくばらんに語り合えるような社交、オペラの成功、フリーメイソン
会員からの敬意、恋、そして才能の衰えることのない進化。ソロモンもこれらのことは書くには書いているが、まるで
幸福は重要性が低いといわんばかりの書きようである。
何よりこの本は、モーツァルトの音楽について、そう大したことをいっていない。偉そうなことを僕は書いてしまったが、
難解な文章とペダンティックな引用を多用しているわりには、目からウロコが落ちるような指摘があるのは最終章だけ
だし、譜例も凡庸である。やはり僕には、たとえ情報が古くても、アルフレート・アインシュタインの本が、モーツァルトに
関してはベストだ。
6月9日(水)
渋谷にて映画『オーケストラ!』。評判の映画だがやっと観ることができた。どんな人にも自信をもってお勧めできる
名作だった。
ブレジネフ時代に迫害されたユダヤ人音楽家たちと、彼らを庇った往年の名指揮者が、迫害され掃除夫となった
現在の身分を偽ってパリでコンサートを開こうとくわだてる、というあらすじからも明らかな通り、ここにはリアリティは
微塵もないし、リアルであろうと意図されてもいない。とりわけ導入部はスピーディで、上質の人形芝居を観る趣が
あった。
後半はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のコンサートがクライマックスになる。ブレジネフ時代のソヴィエトにおける
ユダヤ人迫害(八十年代、ついこのあいだのことだ!)、音楽を取り上げられた音楽家の屈辱と雪辱、そして、大人
たちが寄ってたかってひとつの小さな命を守るという、『三人の名付け親』以来の偉大なコメディ映画のシチュエーション
が、このヴァイオリン協奏曲の演奏に集約されている。この集約に僕は涙をとめることができなかった。
終わって同じく渋谷の名高い名曲喫茶「ライオン」でコーヒー。これは妻の名案であった。「ライオン」には初めて入った
が、これはいつまでも保存しておいて貰いたい恐ろしく古びた建物で、ガラスの扉をおっかなびっくり開くと中からいきなり
ベートーヴェンのハ短調協奏曲。テレビや雑誌で見たことのある巨大なスピーカーが王の如く前方に聳え立ち、客は
そこにオーケストラがいるとしか思えない迫力を前に沈黙してコーヒーを飲むしかない。この図が本当の王制と異なる
のは、心底楽しめるのが客の方だという点である。さっそくチャイコフスキーをリクエストした。ハイフェッツのヴァイオリンは
相変わらず完璧という以外に言葉がなく、驚嘆しつつもゆったりと聴くことができた。いい休日。
6月2日(水)
鳩山由紀夫氏退陣表明。以前福田首相退陣の際(いやあれは安部退陣のときだったっけ?)、僕は、要するに
これで日本の総理大臣は品切れになったのだ、と書いた記憶があるけれど、まったくその通りの感があります。そりゃ
そうでしょうよ。誰が総理大臣なんてあんな商売やりたいもんですか。
6月1日(火)
あまりにもいろんなことがあったので、要領よく書かないといけない。
七時に中目黒にて小学館のMさん、東直子さんと食事。タジン料理など食べながら、チェロの話や東さんの新作
『甘い水』の話。『甘い水』は『薬屋のタバサ』の上を行く凄まじい小説で、読後あいた口がふさがらなかった。妻など
読んでいるときに『甘い水』の夢まで見てしまったそうで、まったくさもありなんの説明不可能な作品だ。ここ十年ばか
りのあいだに多くの小説家がデビューしたけれど、その中で最もおそろしいのは東さんだと思う。僕は当人にそのことを
ぶつけてみた。すると東さんいわく、「恐い小説を書きたかったんですけれど、なかなか恐くならなかったですね」だって。
あれでもまだ足りないのか。一体どこまでいくつもりなのか。
そして十時過ぎにお開きになって、十一時過ぎに自宅の最寄り駅に帰った。自転車に乗って自宅へ向かうと、四つ辻
の途中に自動車が一台停まっていた。四つ辻にせり出すようにして停まっているし、運転手もいるようなのでおかしいな
と思いながら右折すると、パンツ一枚の男が暗い道に背を向けて立っていて、道のずっと向こうにも車が一台、エンジン
をかけたまま停車していた。パンツだけの男は右手に何か持っていて、それが光った。僕は恐いと思ったが、引きかえして
男に背中を向けるのはいっそうよくないと咄嗟に判断した。すると道の向こうにいた車が少し前進した。と同時に男が
振り返ってこちら側を向いた。僕は目を合わさないように、右手に光っているものが何かを確認したりしないように注意
しながら、男の横を通り過ぎた。僕の自宅はそのすぐ先で、家には妻がいる。僕は自宅をさとられたくないと思って自宅
の前でも自転車を止めなかった。数十メートル先の小路に入って用心深くUターンして、今来た道を覗き込むと、男の
姿は見えなかった。僕はすぐに自宅へ入って、二階から外の様子を注視し続けた。
東さんたちとは少しお酒を飲んでいた。全部が気のせいかもしれなかった。けれども数分後には警察が、自転車で、
パトカーで、さらには覆面パトカーでも集まってきた。向かいの家でも外の様子を見ているようだった。
翌朝、警察の人が来た。僕は上記の話をした。やはり男が持っていたのは刃物であったらしく、停まっていた二台の
自動車はそれで傷つけられたそうである。これ以上のことは、木曜日現在、何も判っていない。実に気持ちが悪い。
5月27日(木)
二十数年ぶりにチェロのレッスンを受ける。
インターネットで調べると、チェロのレッスン教室はいくらでも出てきて、やっぱりみんな大変なんだなあと痛感。おま
けに僕の場合、まったくの初心者ではなく、少しは本格的なレッスンも受けてきた経験がある。おまけに四十六歳
の自意識過剰な中年であって、無意味なプライドはめっぽう高い。しかし本格的なレッスンを受けたというのは
殆んど四半世紀の昔であり、この二年ほどは完全に一人で勝手放題に弾いていただけだ。基礎など相当怪しく
なっている。教える側にとっては、こんな厄介な生徒もあるまい。
だから自分じゃあの曲が習いたい、この曲のレッスンを受けたいと思っても我慢して、しっかりと基礎を教えてくれそう
な先生を厳選した。
若い女性の先生だが、こちらにはそんなことを意識する心の余裕は微塵もなかった。とにかく「レッスン」というのがト
ラウマで、緊張して汗が止まらなかった。
しかし考えてみるとこれは、僕が自分の身銭で受ける初めてのレッスンである。そういう観点に立ったとたん、ぐっと身
が引き締まって、習えることはすべて吸収せんければならんという気持ちになった。現金なものである。
案の定というべきか、音階や弓の持ち方のみならず、チェロを構える姿勢から直された。子供の頃にレッスンを受けて
いたときには、先生の話を聞く一方で、こちらから口を開くことはまずなかったものだけれど、緊張が解けるにしたがって、
僕もいろいろ喋ることができた。これは僕にとっては大きなことだった。
左手のポジショニングだけのための、しんどくて面白味のない練習曲集をさらってくるようにいわれた。最初のレッスンで、
ずいぶん自分の問題点が明らかになった。これからが楽しみだ。僕はきっと、基礎を身につければ、ダイナミックな演奏
ができるようになると思う。
5月23日(日)
新潮社と小学館と幻冬舎とマガジンハウスの仕事をしています。馬鹿なのか俺は。こんなにいっぱい仕事
詰め込んでどうするつもりだ。
マガジンハウスはエッセイで、あとは全部小説。どれもこれも腹案を決めて編集者に相談をして、書き始めて
もいるのだが、そのすべての作品が、決定的に展開を欠いている。パン生地が膨らまないからといって、クッキー
ですっていって出すわけにはいかないし、どうしよう。
今もし「小説家になりたい人へ」とかいう本を書けといわれたら、300頁くらい白紙で、最後にひと言「やめとき
なさい」ってだけ書いてある、5000円くらいの本にしたい。
5月14日(金)
盗難解決について、終日メールの対応と、新聞テレビの取材。ひとつひとつの記事は、けして大きな扱いで
はないだろうし(当たり前だ)、盗難の際には各方面にご迷惑をおかけしてしまったのだし、記者の皆さんも
丁寧に連絡をくださったけれど、さすがに同じ話を繰り返すのは、若干くたびれた。
今回のことで、派生的に実感できたこと。世の中には、僕なんかよりはるかに達者なアマチュア・チェリストが、
かなりいる。これまた当たり前の話だが、そういった方々の熱心な練習振りに感嘆するとともに、やはり悔しい
というか、よーし俺だって、という気持ちにさせられる。講談社の文庫編集の女性にすげえのがいて、ハイドン
のハ長調コンチェルトを全曲(!)発表会に出したとか。不愉快である! さっそく僕も練習しようと思う。
これまでの二年ばかり僕は、自分が楽に弾けるものしか弾いてこなかった。簡単そうな曲ばかり選んで弾いて
いた。しかしそれは僕の技術的な怠惰のためであって、僕のチェロは僕の技術よりもはるかに高度なことをでき
るのだ。そういう意味でもこれまでの僕は、チェロに悪いことをしていたといえる。練習に対しても心をいれかえ
よう。独習ではなく、先生にもつこうと考えている。そしていつか、ピアソラの「グラン・タンゴ」をマスターするのだ。
夜は早川書房へ行って『ぼくらのひみつ』のサイン本つくりと、ささやかな打ち上げ。神田のおいしいそば屋さん
に連れて行ってもらった。
5月13日(木)
朝早く警察より連絡あり、チェロ返還されるとのこと。さっそく駆けつけ、しっかり抱えて持ち帰る。
この一件については、書くべきことが山のようにあり、とうてい日記では書きつくせない。いずれどこかで腰を
落ち着け、しっかり書く機会があるだろう。今は安堵感で気持ちがヨロヨロとしている。それでもこの件で
お世話になった方々、ご心配をおかけした方々には、できる限り御礼のメールを送った。
戻ってきたチェロは長いことただ保管されていただけだったので、弦がゆるんでいた。駒もずれていた。それら
をしっかり直し、弾いてみた。
楽器は弾かなければそれだけ音は出なくなるし、僕の指も衰えている。情けない音しか出なかった。音階
すらおぼつかなかった。それでもそれは、まぎれもなく、僕のチェロの音だった。僕のチェロが空気をふるわせた。
胸がいっぱいになった。
多くの人に迷惑をかけ、いらぬ心配をさせてしまい、そのおかげでチェロは戻ってきた。そのことへの感謝の
気持ちと、申し訳ない思いは言葉に尽くせるものではない。皆さん本当に有難うございました。
自責の念は、楽器が戻ってきた今でも強く、どうしてあんなだらしないことができたものだろうと、自分に腹が
立ってならない。そして何よりも、我がチェロに悪いことをしたと思う。楽器を自宅に持ち帰り、夜半まで静か
に再会を喜びつつ詫びる。
5月6日(木)
ゴールデンウィークも当然仕事してたけど日記はお休みしておりましたよ。そして本が二冊続けて出る!
まず『誰にも見えない』が小学館文庫になった! 表紙は西炯子(にしけいこ)さん、そして解説は瀧井
朝世さんという、これだけでもお金出す値打ちはあるという豪華なカップリング。瀧井さんの解説がいいんだ
本当に。文庫だから学生のみんなも買えるはず。決してソンはさせないはずだ。どうかよろしくお願いします。
そしてそして、早川書房から『ぼくらのひみつ』発売!!!!! ああ人生って生きてみるもんだね。『ぼくらのひみつ』
が本になる日が来たんだもんね。しみじみとこれまでの生き様を振り返ってしまう。
この小説を最初に書き上げたのは今から十年前だ。僕はデビューしてまだ七年だから、『アンダンテ・モッツァ
レラ・チーズ』よりも前の小説なんである。二百五十枚書くのに二年かかった。そして、どこだか忘れたが、どこ
かの新人賞に出した。それまでのすべての応募原稿と同じく、何の音沙汰もなかった。そして月日が流れた。
頼まれた仕事を断れない僕は、気がつくと連載を四本依頼されていた。四本目はもうアイディアを捻出する
体力がなく、以前書いたものをしっかり書き直すことにした。初稿を書いていた当時は想像もしなかった、9・
11の話も加えられた。けれども連載四本は、やはり精神力の限界だった。人が読んで面白いかどうか、
整合性があるかどうか、そんなことは考えていられなかった。魂の中から出てくる言葉を、締め切りを気に
かけながら搾り出していくしかなかった。へとへとになって連載を終えた。
するとその連載雑誌を出していた出版社が会社更生法の適用を受けた。担当編集者はどこかへ行って
しまい、仲のよかった営業の人は退社した。出版社からは、電話一本かかってこなくなった。
どこかで出して欲しいと思った。けれど、このまま誰の目にも触れなくても、それは仕方のないことかもしれない、
とも思っていた。『ぼくらのひみつ』は、これまで僕が出してもらえたどんな小説とも似ていない。でたらめで、個人
的な小説だ。出版社の手を煩わせて、人からお金を取って、読んでもらうような小説とは、やはりちょっと違う
のではないかと、僕は寂しく考えた。ある出版社に持ちかけて、原稿を読まれることなく断られてからは、なおの
ことそう考えるようになった。そしてもし、誰かから、あなたの一番好きな自作はどれですか、と訊かれたら、それ
は『ぼくらのひみつ』という小説です、と答えようと決めてもいた。
そこへ早川書房の吉田さんが現れた。吉田さんは原稿を気に入ってくれた。のみならず、それを上梓すべく、
長期間に亙って奔走してくれた。そして今、『ぼくらのひみつ』は、でたらめで個人的な小説のまま、叢書「想像
力の文学」シリーズの一冊として、僕の手の中にある。吉田さん有難う。口幅ったいが、この小説は僕のビッグ・
バンだ。今ようやく、僕は僕の始まりを確かめられる。恥ずかしいけれど。
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